ANIMA MYSTICA BBS 過去LOG(2004年02月11日~2019年07月22日) - Part 11


□ No Title
□投稿者:AIN
□投稿日:2004/10/12(Tue) 17:26:18
□記事No. 122

あるだーさん

>魔術師諸氏のストイックな探求姿勢に
特に神秘行に何かを求める男性は、様々な秘教的知識を得ると、それらを観念的に、
脳内で、あーでもない、こーでもない、といろいろこねくりまわして「真理」を
みつける!、といった欲求の強い事が多いですからね(笑)。

以前、聞いた話で
女性は意識内では「あれもしたい、これもしたい、幸せになりたい」という、どっちか
というと、人生ではいろんなことを楽しみたい、満たされたいといった感覚が強い事が
多いが、男性の場合は意識内では「あれもしなきゃいけない、これもしなきゃいけない」と、
義務感みたいな強制されてるような感覚で人生を生きていることが多いといった事があるそうです。

>人間矢張りどんなに脳で考えても、DNAには逆らえんのかと思ったりも。

意識の「傾向」はやはり性差によるでしょうけど、逆らえないことは無いと思いますよ。
人間の意識には男性であれ女性であれ、「男性原理」と「女性原理」の2つを両性とも
持っていますから。


□ 生命の樹
□投稿者:AIN
□投稿日:2004/10/12(Tue) 18:20:26
□記事No. 123

「生命の樹」の一つの見方として、あの図形をタロットと絡めて、「生」の顕現の
過程とする事も出来るでしょう。この場合、先に述べた07/23(Fri) 10:12:54の
書き込み、「力と形」の柱の話も念頭に入れつつ読んでください。

まず、先に書いた「根源の微細なるもの」の極致は、カバラの生命の樹でいえば
「ケテル」とすることが出来るでしょう。ケテルからは、0と1の2つのタロットが
「両極の柱」に向かって流出します。まず「力の柱」に向かって流出するのは「愚者」。
エーテルの精霊であり、根源の微細なるものの形無き「力」。愚者のように全てに
ふらふらと「遍き行く力」です。反対に「形の柱」に向かって流出するのが「魔術師」。
ただ、この段階では「形」がまだ物質的な「形」として常時現れたわけではなく、その
源となる段階でしかありません。例えて言えば、魔術師=ヘルメスのように変幻自在にして、
奇術師が何も無いところから物品を取り出し消してしまうように、現れ消える、まだ夢幻の
ようなはっきりとしない段階の「形」なのです。これら両極の力が結合し「生」の芽吹き
が生まれるのが「ティファレト」すなわち誕生、死と蘇りのセフィラなのです。

ティファレトから伸びる「死神」と「悪魔」のパスは、その生命の樹上の配置から
ケテルから伸びる「愚者」と「魔術師」に類似した性質を見出すことが出来るでしょう。
「死神」はティファレトから「力」の柱へと伸びます。これは「愚者」に対して、
「死神」が一段階低いレベルでの「力」の発現の原理を示します。そして、「悪魔」は
「魔術師」ではまだ、はっきりとしなかった「形」が形として「束縛」される段階を
示します。


□ 雑感記
□投稿者:AIN
□投稿日:2004/10/17(Sun) 20:26:48
□記事No. 124

今日、久々に某アニメOトに行ってきました(<某になってねぇ(笑))。
いや、最近、いろいろと忙しかったせいでアニメ・漫画方面から遠ざかって
いましたが、いろいろと変わっていますね~。そいえば、ロキの単行本
買ってないや~。天上天下は一応、単行本はすぐ買ってるんだけど。BLACK CATは
いつの間にか終わってるらしい。おぉっ!?、アOメイトにBL系のコーナーまで!?。
いや、昔からなぜかOニメイトって、やOい系の同人誌の品揃えは良かったけどさ~(笑)。
そのコーナーでウロウロするのは、ちょと恥ずかしい(笑)。
とかいいつつも、好きしょはちゃんとPLAYしてたり(笑)


□ 雑感記
□投稿者:AIN
□投稿日:2004/10/17(Sun) 21:52:11
□記事No. 125

最近アニメは見てないといいつつも、攻殻機動隊シリーズはしっかりとチェックしてたり(笑)。
今現在、攻殻のアニメを見ていてその随所にネットワークが出てきても、全く違和感は
感じなくなってしまってるんだけど、攻殻が単行本として最初に出た頃は、まだまだグローバル
なネットって未知な存在だったわけで、単行本の最後で素子がいう「ネットの可能性は無限」
っていう言葉に、その頃強い思いを覚えた記憶があります。それから、もう15年くらい経って、
こんなにネットが普及してきたわけだけど、そういう意味では先見性があったんだなぁ~って思ったり。
人間の本質と、やがて現実にもこれからより根深くなってくるであろう、ネットワーク社会における
個性と多様性の喪失について考えさせられるところもあったり。

映画「GHOST IN THE SHELL」として米ビルボード誌のビデオチャートで一位を獲得したのも、
もう8年くらい前ですし、今、職場で周りの20代前半の子達に聞いても、結構、熱中してみてたり
する子も多いし、ある意味、すごい長いスパンの作品ですよね。


□ 雑感記
□投稿者:AIN
□投稿日:2004/10/23(Sat) 03:14:15
□記事No. 126

この間、内部掲示板で書いたことですが、こちらにも書き込みを。
一応、自分の「魔術」に関わるスタンスみたいなものです。

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私自身の「魔術」は、この間の飲み会でも多少お話したと思いましたが、
子供の頃に霊的体験を頻繁にしていたために、その体験を制御できうる修行方法
はないかな?という事がキッカケでした。そのため、東洋的な方法などもいろいろと
模索しましたが、しっかりと初心者からでも段階を踏んで修行できるように一般にも
紹介された体系的なものは無かった。

そういった時期に、朝松さんの「高等魔術実践マニュアル」を読み、その巻末に
書かれていたI∴O∴S∴のカリキュラムを見て感銘を受け、西洋の魔術伝統を
研究しだしたというのがはじまりです。これらの事から私にとっての「魔術」とは、
言ってみれば、望まない心霊的体験をしてしまう自分に対しての「自己制御的方法」
ともいえるでしょう。ただ、自分自身を制御するためには、本当に自分自身を知ら
ないと、可能とはなりえない。そのためには、自分自身に秘められたもの、すなわち
「神秘」を追い求める事が必要となる。そのため、自分はその「神秘」をいつまでも
追い求め、解き明かす学徒となりたい、というのが現在の魔術に向かう主な動機ですね


□ 雑感記
□投稿者:AIN
□投稿日:2004/10/23(Sat) 03:47:31
□記事No. 127

実質、仙道やって「気」が体で理解できるようになれば、嫌でも毎日が修行になるわけでして。

「前世」に関しても高校の夏休みに毎日瞑想ばかりして、ある程度はつかんでおきました。
まぁ、前世に関してはいろいろと考え方があると思いますが、私としては、一般的に
考えられている「前世」があるとは思っていません。前にも書き込みした、昔の人が残した、
世界を構成する根源の微細なるものが還っていった、象徴的な「月」の世界に残っていた情報のうち、
今、ここにいる「自分」というものに近しい質の情報を持ったものが、自分に引き寄せられて、
自分の意識に浮かび上がってくるものだと思っています。つまり、人間にとっての本質的な「魂」が
転生するわけではなく、情報体が残って、近しい質を持って現れた後の世代の人に影響を及ぼすものだと。
しかし、これを理解できてない人が、昔の情報体を読み取ったときに、それが自分と近しい「質」を
持っているので、「自分」が昔にも生きていたのだと勘違いするわけです。この考え方だと、同じ
前世を持っている人が何人いても、矛盾ではないし、転生論でよく問題になる、転生があるのなら、
何故、地球上の人類の数が増えるのかという問題も別に関係なくなります。


□ 雑感記
□投稿者:AIN
□投稿日:2004/10/23(Sat) 03:58:06
□記事No. 128

よくオーラは視覚で見るような形で説明されていることがありますが、実際に見るときって、
眼で見る感じではなく、肌あるいは意識で感じとってから視覚的なものに変えられる感じです。
オーラは残像だとか眼の錯覚だとか水蒸気だとか、いろいろと科学的につじつまを合わせようと
する向きもありますが、ナディみたいなのがわかるようになったり、ある程度オーラを制御して
形を変えれるようになれば、他人がどういおうが、もう既に眼の錯覚とかいう話はさすがにどうでも
よくなりますね。

そういったものが感じ取れるようになってくると、幽霊のよく出る場所とかいったりすると、
変な蠢くものをよく感じたり、場の雰囲気が他とあまりにも違うのがよく解ります。あと、
以前に経験したのでよく記憶に残ったのが、古くからある火葬場に行った時。あまりにも、
途中で場の感覚が「ピン」と変わったのが解って驚きました。そういうところって
「長く人がいる場所じゃないな・・・」と如実に感じました。


□ 雑感記
□投稿者:AIN
□投稿日:2004/10/29(Fri) 07:09:57
□記事No. 129

クロウリーの「魔術-理論と実践(上)」94ページに
「自分の以前の転生を探求することほど重要な努めはない」
と書いてあったように、昔、一応、前世の読み取りを行ったことがあります。

でも世間一般的に、自分は前世では凄い人だったって事をいう人がよくいますが、
自分が見た”前世”のイメージは全然平凡だったり(汗)。どっかの農民の生まれ
の女だったり、戦であっさりおっ死んだ武士だったり、どっかの僧だったり。なんで、
そんなパッとしないんでしょ(笑)。


□ 雑感記
□投稿者:AIN
□投稿日:2004/10/29(Fri) 07:21:10
□記事No. 130

最近、家のインテリアやデザインを変えたいな~と思いつつ、いろんな
一人暮らしの部屋についてのページを見て回ったりしてます。家がもともと
かなり古い(築30年くらい?)の和風の平屋なんで、最近の洋風の部屋
などをみたりすると溜息が出たりしますね~(ハァ)。一応、今の部屋は
気の流れとかは考慮しつつ、デザインを決めたりもしてるんですが、もう
ちょっと明るくしたいな~とも思ったり。


□ 雑感記
□投稿者:AIN
□投稿日:2004/10/30(Sat) 00:43:41
□記事No. 131

人間は信仰を持たないと生きていけない生物とされます。信仰とは、言葉を
変えて言えば、明日への何らかの「希望」といえるでしょう。それが無いと、
人間は生きていく「意味」をその身に見出せない生物なのです。

一昔前なら神道や仏教などの宗教が、信仰の対象になる役割を担っていました。
神というものが存在するからこそ、日々を真面目に暮らしたり、たまにでも
善いことをすれば、自らの信仰の対象たる神様がきっと自分に利益を
もたらしてくれるという希望から、人間は人生を送っていけたといえるでしょう。

現在の日本は無宗教の時代といわれ、信仰心などは昔の迷信であり現在の一般大衆は
無信心だと言われます。しかし、現在の日本でも形を変え、「信仰」は十分生き残って
います。それは「科学」というものへの信仰なのです。

「何を馬鹿な。科学とは客観的な検証の技術体系であり、学問である。そこには信仰
などの要素が入る余地は無い」と思う方もいるかもしれません。しかし、それはあくま
でも、実際に科学的研究を行っている科学者達の間での話なのです。
(もっとも、最近では人間の意識自体が科学的実験の結果に影響を及ぼすという話も
あるが、それは、とりあえず、この場ではおいといて)。

普通に生活している”一般大衆”にとってみれば、「科学」とは不思議のかたまりでしか
無く、自分達の生活を便利にしてくれる”依存”の対象でしかないのです。

例えば、今でこそPCや携帯電話などの先端機器が一般大衆の日常でも使われていますが、
実際に、その動いている原理を知った上で使っている人というのは、どのくらいの割合に
なるでしょう?。実際のところ「何でそうなるのかは解らないけど、こうすればこうなるんだ」
程度の認識で先端機器を使っている人が大半なのです。結局、これは昔の人たちの
間で根付いていた、この世界に対する「人間にはわからないけど神様がこの世を作って動かして
いるんだ。だから、神様に気に入られるような事をすれば、自分にとって便利で良い環境にしてもらえるんだ」という認識と本質的にはそうたいして変わっていないのでしょう。

「科学というものが発展していってるからこそ、自分達は安心して暮らせる。」
「未来にはもっと凄い機械が出来たりして、もっと便利な未来になる」
もし、現在の日本の人たちから科学的なものを一切取ってしまったらどうなるか?。
結局、人間という「生物」の意識自体は昔からあまり変化はしてないのです。



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