ソロモン

知者ソロモンの裁き(ギュスターヴ・ドレ画)

イスラエル王国第3代目の王「ソロモン」

モーセに導かれエジプトを脱出したヘブライ人達は、モーセの死後、後継者により約束の地カナンへと辿り着く。その地で、ヘブライ人達は古代イスラエル王国を建設。イスラエル王国第3代目の王となったのが、このソロモンである。

彼は偉大なる知恵を持った人物として知られる。王に即位後、自国と外国との交流や貿易を活発化させたり、また国内の制度を整え、古代イスラエル王国の最盛期を築いたのだ。彼の知恵については、こんな逸話も伝わっている。彼はある時、その信仰を主に認められ、何でも欲しいものを与えようと言われた。その時、彼は主に対して、民の訴えを正しく聞き、裁きを行える「知恵」を求めたのだ。自分の長命や富を求めず、この知恵を求めたソロモンを、主はとても喜び、彼に偉大なる知恵を与えたと言う。

エルサレム神殿の建立

ソロモンの為した業績の中でも特筆すべき事は、エルサレム神殿を建立した事だったと言えよう。このエルサレム神殿建立についても、有名な逸話が伝わっている。主を礼拝し、その聖なる契約の箱を安置する神殿を建設する事は、彼の父ダビデからの悲願でもあった。しかし、この神殿を建設するに際して、ソロモンは主から、鉄の道具を使わず7年で建設するようにと指示されてしまう。その為、建設は困難を極めたのだった。彼は悩み、主へと祈りを捧げる。すると、大天使ミカエルが彼の前に現れ、彼に魔神(悪魔)を支配することのできる魔法の指輪を授けたというのだ。その魔法の指輪を使って、ソロモンは様々な魔神を使役して、立派な神殿を建設することが出来たとの事である。

この際、使役された魔神は、後に真鍮の壺に封じられ湖の底に封じられたという。しかし、欲に目の眩んだバビロニア人によって封印は解かれ、魔神は世界に散らばってしまった。後に、世に知られた「ソロモンの小さな鍵(ゲーティア)」と呼ばれる魔術書は、この魔神達を悪魔として呼び出し使役させる為の方法を記しているとされている。

ソロモンの築いたエルサレム神殿はとても壮麗なものだったとされ、現在でもその伝説は西欧神秘伝統の重要な象徴的要素として扱われる。エルサレム神殿には、入り口の両脇に2本の柱が左右に並んでいた。向かって右がヤキンの柱と呼ばれ、左がボアズと呼ばれる。ウェイト版(ライダー)タロットを持っている学徒は、女司祭のカードに描かれている柱を参考にしてみると良いであろう。また、神殿の外には、燔供祭壇と水盤があり、中には供物のパン皿や燭台、香祭壇、そして奥部には契約の箱が安置されていたという。

古代イスラエル王国の最盛期を築いたソロモン。しかし、彼は晩年、多くの異国の女を娶り、異国の神を崇拝したために主の怒りに触れてしまう。そして、彼の死後、古代イスラエル王国は北と南の2つに分裂し、衰退への道を歩んでしまったのだった。

ソロモンの伝説

後世、ソロモンは魔術に長けていたとの話が世に広まり、先に書いた「ソロモンの小さな鍵」の他にも「ソロモンの大きな鍵」「ソロモンの真の鍵」などのように、彼の名を冠した魔術書が多く出回ることとなった。実際は、それらの書籍はソロモンとは関係無い、後世の魔術師達が書き上げたものだと見られているが、西欧神秘伝統界ではソロモンの名は、魔術書に箔をつけるための一種のブランド的な扱いをされたのだ。後にそれらは総称して「偽ソロモン文書」や「ソロモニック・サイクル」とも呼ばれることとなる。現在でも西欧神秘伝統界では、それらの書に価値を見いだし研究を行う学徒もいるのだ。


次へ
上位ページに戻る