モーセ

十戒の石板を手にするモーセ(ギュスターヴ・ドレ画)

預言者モーセ

旧約聖書における最も重要な預言者とされる人物である。紀元前13世紀頃に生きたとされ、彼の手により旧約聖書の最初の「創世紀(Genesis)」から「出エジプト記(Exodus)」「レビ記(Leviticus)」「民数記(Numbers)」「申命記(Deuteronomy)」までの五書は書かれたとの伝説もある。その為、この由来からそれら5つの書は総称して「モーセ五書」と呼ばれる。

モーセの物語

成長期

彼の物語を簡単に紹介しておこう。アダムからセツ、エノス、カイナン、マハラレル、ヤレド、エノク、メトセラ、レメク、ノアと続いたアダムの血脈は洪水後、主(神)に祝福され地に満ちることになる。バベルの塔の出来事の後に生まれたアブラムは主に認められアブラハムと改名。部族を引き連れてカナンの地へ移住。後の、主の民=ヘブライ人の始まりとなる。紀元前17世紀ごろ、ヘブライ人達はエジプトに集団移住。そして、モーセが生まれる紀元前13世紀頃にはヘブライ人達は古代エジプト王国にて低い身分階級でありながらも、急速にその人数を増やしていた。しかし、ヘブライ人の勢力が大きくなることを憂えた古代エジプト王によって、ヘブライ人に新しく生まれた男子は皆殺しにせよとの命令が下ったのである。

ヘブライ人のアムラムとヨケベデには息子のアロンと娘のミリアムがいた。しかし、ファラオからヘブライ人の男子の新生児は皆殺しの命令が出た後に、彼らの間にモーセが生まれることとなる。モーセの誕生後、彼らはしばらく赤子を隠して育てていたが、やがて、隠しきれなくなってしまい、やむなくモーセを葦の船に入れてナイル川に流してしまう。しかし、皮肉にもそれを拾って育てたのはエジプトの王家だった。彼は王家で成長する事になるが、その間に王家の様々な秘儀を会得したと言われている。彼が特に影響を受けたのは、エジプトを一神教に変えようとしたエジプト王アクエンアテンの教義だとも言われ、そこから後のユダヤの一神教へと繋がったともされている。

成人した彼は、ある日、同胞のヘブライ人がエジプト人に迫害されているところに出会いエジプト人を殺害してしまう。エジプト人の追手から逃れるために彼は別の地に移り住み、そこで結婚。羊飼いとして平和に暮らしだす。しかし、その頃エジプト人に過酷な迫害を受けていたヘブライ人達の叫びの祈りを聞いた主は、モーセをヘブライ人達を約束の地カナンまで導く出エジプトのリーダーにする事を決意したのだった。

出エジプト

ある日、モーセは羊の群れを率いて神の山ホレブに来たときに、燃える柴の中から不思議な声が語りかけてくるのを聞くことになる。その声は自らが"主"(あってある者)である事を明かし、モーセにヘブライ人達を率いてエジプトから約束の地カナンへ導くリーダーになれと命ずる。自らにそんな力は無いと、主と激しい論争を行うモーセ。しかし、杖を蛇に変えたり、手を病気に変えたり癒したりする不思議な力を見せつけられた彼はようやく、主の指示に従う事を決意したのだった。

その後、モーセは兄のアロンにも主からモーセを手伝えとの啓示が下っていた事を知り、ともにエジプト王のもとへと行き、ヘブライ人達の出エジプトを要求する。これを拒否するエジプト王。モーセ達はエジプトの魔術師達と魔術合戦を行う事になる。杖を蛇に変え、ナイルの水を血に変え、蛙やぶよ、あぶ、いなごの大群を発生させ、エジプト人達に疫病を起こし、エジプト人の家畜を滅ぼし、そして激しい天変地異などをもってエジプトを覆い魔術師達に打ち勝ったモーセ達。しかし、それでもモーセの要求を認めないエジプト王に、とうとう主は、過越の犠牲の血を戸口に塗っていないエジプト人のすべての初子(ういご)を滅ぼしてしまう。ここに至ってようやく、モーセの要求を認めるエジプト王であった。

エジプトを脱出した数十万人ともされるヘブライ人達は、主によってまずは紅海の近くに導かれる。この時、主は彼らの前に、昼は雲の柱、夜は火の柱を示しヘブライ人達を導いたという。しかし、心変わりしたエジプト王は、ヘブライ人達を撃つため、軍勢をもってヘブライ人達を紅海に追い詰める。絶体絶命の危機に陥るヘブライ人達。祈りを捧げるモーセに、主は海に向かって手をさしのべよと命ずる。主に従うモーセ。すると、海は2つに割れ、その間に陸の道が出来たのである。その道を通ってヘブライ人達は無事にエジプトの軍勢から逃れる事ができたのだった。しかし、なおもヘブライ人達を追おうと、割れた海に入ったエジプト軍達は、元に戻った海に呑まれ全滅してしまったという。

十戒

紅海から逃れ、約束の地を目指して荒野をさすらうヘブライ人達は、飢えと乾きにより厳しい旅を強いられる。不平不満をすぐ口にするヘブライ人達にモーセは怒りながらも、マナを降らし岩を打ち水を出すなどの様々な奇跡によって、それを克服していく。エジプトの地を出て3か月後、モーセはシナイの山に登り、主と会う事になる。この時、主は彼に十戒を授け、ヘブライ人達と契約を交わしたのだった。その後40日間、モーセはシナイ山に登ったきりとなり、ヘブライ人達の契約のための儀式や掟など、主からの様々な指示を学ぶ。最後に、モーセは神が直接、指をもって十戒を書かれた「あかしの石の板」を2枚授かることになる。

しかし、その間に残されたヘブライ人達はモーセが長い間、山から降りてこないのを見て不安に陥る。そして、自分達に新しい神をもたらすようにアロンに詰め寄ったのだった。アロンはヘブライ人達から黄金を集め、それを溶かし子牛の像を作り、ヘブライ人達の新しい神としてしまう。これを知った主は怒りに震え、ヘブライ人達を皆殺しにしようとするが、モーセによってなだめられる。急いで山を降りるモーセ。しかし、そこで彼が見たのは金の牛の神像の前で狂宴を開くヘブライ人達の醜い姿であった。モーセは怒りのあまり、主より授かった石板をヘブライ人の前で打ち砕いてしまう。そして、兵を使って彼に反抗した3千人を殺害したのだった。

その後、主の命によりモーセは2枚の石の板を作り、再度、シナイ山に登り十戒をその板に書き記す事になる。また、ヘブライ人達に命じて組み立て式の会見の幕屋や各種祭具、ベツァルエルに命じて十戒の石板を入れておく契約の箱を作らせた。全てが整った後、モーセによって会見の幕屋が組み立てられると、それまでヘブライ人を導いていた雲の柱は、その幕屋の上に位置し、主の栄光が幕屋に満ちたのだった。

幕屋や契約の箱とともに、約束の地を目指してなおも荒野の旅を続けるモーセとヘブライ人達。しかし、その旅のつらさに度々ヘブライ人達は主への不満を口にする。その都度、主の怒りをモーセが鎮める事になる。ある時は、ヘブライ人達のあまりの激しい不平に、主はヘブライ人達に燃える蛇を送る事になる。この蛇に噛まれ、多数のヘブライ人達が死ぬことになった。彼らから助けを求められたモーセは主へと赦しを祈る。その祈りを聞き届けた主はモーセに青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけ、ヘブライ人達に見せる事を命ずる。その通りにしたところ、ヘブライ人達は燃える蛇に噛まれても生き残る事が出来るようになったと言う。

荒野を約40年さすらい、約束の地の寸前まで来たモーセとヘブライ人達。しかし、モーセは主の許しが降りなかったために、自らはカナンには入れない事を知る。約束の地を目の前にした山の頂で、彼はその地を見ながら120歳で死んだのだった。

モーセの神秘伝統的解釈

彼は一神教の祭祀形態を確立した天才として知られる。彼が残した主への信仰方法は、一神教崇拝の効果的な形として捉えられているのだ。また、旧約聖書の「創世記」からの五書は彼が書いたともされているが、そのうちには彼が暗号として残した、主と世界の創世の秘密が隠されているという説もある。そして、その秘密を解明するための方法が西洋神秘伝統で特に重視されるカバラのルーツとなったとの説もあるのだ。彼の物語は、神秘伝統において、燃える柴、聖なる幕屋、青銅の蛇など、その様々な要素が重要な象徴として扱われている。神秘伝統の学徒としては、彼の物語のおおよその事は基礎知識として知っておくべきだろう。

他にもIMNの学徒として知っておきたい事柄としては、後世、彼はその逸話から偉大なる魔術師だったとも考えられ、彼が書き記したモーセ五書の続きとされる「モーセ第六、七の書」「モーセ第八、九、十の書」といった魔術書まで生まれている事が挙げられよう。しかし、これらの書は実際にはモーセ当人とは何の関係も無く、後世の魔術研究家達が作り上げたモーセの名を使っただけの贋作であるとの説が現在、定説となっている。


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