元祖黄金の夜明け団の歴史(ホロス事件。元祖GD団の終焉)

秘密グループ「スフィア」

この喧嘩の原因は、事務的作業の苦手なファーが今までの記録を怠けていた事をホーニマンが見つけ、おまけに団のセカンド・オーダー内にフローレンス・ファーを中心とした、もう一つの秘密グループ「スフィア」が出来ていた事まで、発見されたためであった。この新しい秘密グループ「スフィア」を目の敵にしたホーニマンは、イェイツに対してグループ粛正を要求する。ホーニマンから財政面で援助を受けていたイェイツは、仕方無しにホーニマンに協力。ファーに対して、秘密グループである「スフィア」を公開してほしいと申し出る。

ファーは、この要求にしぶしぶ応じるが、しかし、逆にファーは団の総会に「スフィア」を持ち出して、投票によってメンバーの意見を聞き、団の公認組織にすると言い出したのだった。ホーニマンとしては、気に入らない「スフィア」が、団の公認組織になるなどもっての他であるから、様々な圧力をかけるが、元々彼女は団での評判が良くない。総会での投票は、「スフィア」が認められるのが、目にみえる事になった。

イェイツとホーニマンの敗北

しかし、この投票の票数を数えるのがホーニマンの役目だったため、この点を考慮に入れた団のメンバー、M・W・ブラックデン、パーマー・トーマスの2名によって、ホーニマンの他に2名の投票検査人を補佐に立てる事が申し出られる。しかし、この事にホーニマン及びイェイツは人格を怪しまれたと激怒。イェイツはすぐさま、ブラックデン、トーマスの両名に謝罪を要求。ブラックデンは謝罪したが、トーマスはこれに応ぜず、イェイツの復讐によって彼の役職は一時的に取り上げられている。

この後、イェイツは怪文書を流したりして、支持者を得ようとするが、そのもくろみも失敗。ホーニマンも書記の辞任を発表、この事によって同情票を得ようとするがこれも見事に失敗。結局、総会での投票にてイェイツとホーニマンはあっさり敗れ、「スフィア」は公認された。同時にイェイツも首領を辞任。イェイツの首領であった期間は10ヶ月程度であった。この1901年2月26日におきた騒動のあと、7ヶ月程はGD団も平穏な日々を過ごしていた。しかし、これは嵐の前の静けさでもあった。GD団史上、最大の不名誉な「ホロス事件」が、この年の9月26日に起こるのである。

「ホロス事件」と元祖GD団の終焉

ホロス夫人の法廷での様子(The GoldenDawn

Scrapbook-R.A.Gilbertより)

1900年初め頃、メイザースから、まんまと秘密文書を騙し取っていたホロス夫妻は、その嘘がばれる前にメイザースのもとからトンズラしていたのであった。そのため、メイザースはSDA調査委員会に、自分の情報が嘘だったのがばれるのを恐れて、顔も出せなかったのであったが、ホロス夫妻は、そんなことなぞ知りもせず、メイザースから騙し取った秘密文書を使って、南アフリカでインチキ霊媒商売を行っていた。そして、南アフリカで逮捕されかけたホロス夫妻は再び、ロンドンに戻ってきたのだが、またもや、ロンドンでもインチキ霊媒商売を行い、そしてついに9月26日に少女暴行・金銭詐欺等の罪で警察に捕まってしまう。

しかも、ホロス夫妻は警察の取り調べに対して、自分達をGD団の首領であると名乗ったため、GD団の名は一躍、「性犯罪者が首領である団体」という悪しき噂で有名になってしまう。このスキャンダルに、本物のGD団も騒然となる。もともと、GD団はモラルを重んじる紳士・淑女の集まりであったため、この悪しき噂を嫌って多数の団員が退団している。この事で多数の有力メンバーを失ったGD団は、しかし必死に体制を立て直そうとし、ホロス事件の噂が消えたくらいに、パーシー・ブロックとブロディ・イネス、M・W・ブラックデンの3人を首領として組織を一新。同時にGD団の名前も以前、メイザースを追放したときから案の上がっていた「The Order of Stella Matutina」(暁の星)と、名前を変える事に決定。ここに、元祖「黄金の夜明け」団は幕を閉じる事となる。


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