黄金の夜明け団伝統の歴史(GD団の系譜1)

「暁の星」団誕生とフェルキンの首領就任

Robert William Felkin(フェルキン)

「黄金の夜明け」団という名前を捨て、「暁の星」団へと生まれ変わったロンドン・メンバー達であったが、しかし、その直後にも様々な混乱が発生する事となる。パーシー・ブロックが、新体制就任後すぐに指導者としての役を辞任してしまったのだ。やむをえず、フェルキンがその後を引き受ける事になる。また、その後には現在ライダー・タロットの作者としても有名なウェイトが反乱。暁の星団から離脱し、彼の新しい団を立ち上げてしまい、それに同調したブラックデンもこの時にウェイトの団に移ってしまう。そして、しまいにはブロディ・イネスもエジンバラに帰り、自らのテンプルの運営に専念してしまった為、実質、暁の星団はフェルキン一人がトップとなってしまった。

図らずも一人で団のトップとなってしまったフェルキンだったが、しかし、自分自身で団体を引っ張っていこうという強い意志に欠けていたようで、その後、自分達を導いてくれる「秘密の首領」探しにあけくれる事となる。

フェルキンの秘密の首領探しと暁の星団の終焉

彼は最初の頃は星幽的存在からの自動筆記によって教えを受けていたが、やがて1910年シュタイナーと出会い、彼を「秘密の首領」と信じ込んでしまう。そして、その後フェルキンは何を考えたか、イギリスからは遠く離れた南半球のニュージーランドの英国薔薇十字協会の支部を頼り、1912年、ニュージーランドに移り住んでしまった。彼は、その遠く離れた土地から暁の星団を運営するつもりだったらしく、1916年には、暁の星団に支部団体を4つ作らせたりもするが、しかし、この頃には、トップ不在な暁の星団の本部は2つの派閥に別れて対立状態になってしまっていた。

一つは、フェルキンの言葉通りシュタイナーを「秘密の首領」として崇めるフェルキン派。もう一つは、シュタイナーが「秘密の首領」とは信じられないとする、スタッタードという人物の率いる反フェルキン派である。しかし、やがてシュタイナーに、この暁の星団のぐだぐだな内情が知られてしまう事となる。元々、儀式魔術の方面には興味の無かったシュタイナーは、あっさりとフェルキンを見捨ててしまう。拠り所を失ったフェルキン派は壊滅。1923年、暁の星団は事実上、その歴史を閉じることとなった。

イスラエル・リガルディーの決意

Israel Regatrdie(リガルディー)

暁の星団本部は壊滅してしまったが、その4つあった支部のうち「ヘルメス・ロッジ」と呼ばれる支部は、その後も何とか活動を継続していた。しかし、そこへ、ある意味GD伝統史上で最も偉大な功績(あるいは裏切り)を遂げた人物イスラエル・リガルディーが1935年に参入することとなる。彼は若い頃から神秘伝統の分野に興味を持っており、ある時、アレイスタークロウリーの著作に触れ、その内容に感動。クロウリーの弟子になる。しかし、後にクロウリーと仲違いしてしまい、結局、クロウリーの下を離れる事になる。

GD伝統にまだ興味を持っていた彼は、このヘルメス・ロッジに参入。有能な素質を発揮し、内陣まで駆け上がる事になる。しかし、内陣の上位階のもの達が、あまりにも無能に見えたことに彼は幻滅。このままでは彼らによってGD伝統の貴重な教義が無くなってしまうとの危惧感を抱き、一大決意。秘密の誓いを破り、その時点で集められる教義資料を纏めて、1937年から1940年にかけて商業出版してしまったのだ。この出来事は、我々、後の時代の学徒にはとても役に立つ事になったが、当時のヘルメス・ロッジとしては、秘密の教えを伝える団体としての存在意義ともいえる、教義の殆どを公開されてしまったものであり、これらの事もあって、ヘルメス・ロッジと、後に述べる同系列の伝統を汲むAO団は消滅してしまった。

また、リガルディー自身も、その後に以前の師であったクロウリーをはじめとした関係者達から、陰湿な嫌がらせを受け神秘伝統の分野から一時的に退くこととなる。


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