シャドウの投影

全体的な存在としての人間

人間は、そのこころにあらゆる面、社会的にいう良いものも悪いものも全て含んだ全体的な存在であることは既に何回も書きました。このうち、社会的にいう良い面、あるいはその人が通常、社会に向けている面は、人間はその面を表に出しやすいので特に問題はないものです。

しかし、社会的にいう「悪」や「弱さ」、また、自分自身が常に抱いている主義に反する事、自分を取り巻く環境の影響で出しにくい面は、人間はそれらを心の奥の方に押しやって忘れてしまおうとします。

しかし、そういった表へ出せない面は、意識の奥へと追いやったからといって、消えてしまうものではありません。いつまでも心の中でコンプレックスとして、あるいは消えないシコリとして、そのまま溜まっていってしまう傾向を持ちます。

そして、人間は他者と関わっていくときに、それら自分にとっての触れたくないシコリ、認めたくない部分を表面に出す人と出会うことがあります。その時、人はその他者の影響によって自分自身の認めたくない部分を自分の心の中で刺激されてしまうのです。

自分の認めたくない面の他者へ投影

その場合、人という生き物は自分の心の内にある、そういった面を認めたくないため、自分で意識しないうちにその面を自分ではない外部の「他」者に「投影」、そして、自らは悪くなく、その他人こそが悪いものとして、怒りや憎しみなどの感情をその他者に向けてしまうのです。

こういった自分自身にとっての認めたくない、弱さなどの「負」の部分を他者に投影する事を、ユング心理学では自分の心の「シャドウ(影)の投影」と呼んでいます。


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