カバラについて


黄金の夜明け団の理論体系は西洋の秘教伝統の中でも、ユダヤ教に端を発した「カバラ」という教義、特にその中の「生命の樹」に関する概念を基本として構成されている。ここでは、学徒のために、その「カバラ」というものについての概略を示しておこう。

ただし、先に注意しておくが、誤解しないで欲しいのは、この「カバラ」はユダヤ教の教義だからといって、学徒がユダヤ教を信仰しなければいけないという事はまったく無い。その教義の中に、現代の意識を探求する学徒にとって、とても有益な考え方が含まれているため、その考え方を参考にさせてもらうだけなのだ。この点、学徒はよく注意しながら学習を進めて行って欲しい。

カバラの発祥

カバラ(QBL)。この言葉は、元々ヘブライ語で「受ける」あるいは「口伝え」を意味するものだった。このカバラはそこから転じて、ユダヤ教で口伝で伝えられてきた秘密の知識体系(QBLH)を示す事となる。その発端は謎に包まれている。一説には、モーセと呼ばれる旧約聖書の聖者がシナイ山で神と対面した時、その一回目に律法(十戒)を授かり、2回目に律法の魂(メシュナ)を授かり、3回目に律法の魂の魂、即ちカバラを授かったといわれている。モーセは、そのカバラの知識を旧約聖書の初めの4書に封じ込め、後の世に伝えた。この意味ではカバラは、古来よりヘブライに伝わる教典・律法の書の秘められた解釈を受け伝えるための教えであるとされる。

しかし、カバラの発祥には、もう一つの説もあり、その説では始めの人間アダムがエデンを去る時、それを憐れんだ天使ラツィエルから伝えられた2つの知識の一つがカバラである、という事になっている。ちなみにもう一つは先に学習した錬金術である。この説では、カバラとは人間が完全な人間になり楽園に戻るための鍵を含む知識体系だという事になる。また、後の世でもこの知識は度々、天使から人間に伝えられたといわれ、旧約聖書の有名な人物イサクには天使ラファエルが、モーゼには天使メタトロンが、そしてダヴィデには天使ミカエルが授けたと言う事になっている。この説は、ほぼ伝説的なものであり、真実では無いだろうが、カバラの重要さ、神秘さを表現する良い寓話になるだろう。

カバラの歴史

しかし、そんな古くから伝わると言う話のある「カバラ」だが、実際に表の世界にカバラという名前を伴って頻繁に現われるのは12世紀以降となる。それ以前はユダヤ教における聖書の神秘的解釈学、「ユダヤ神秘主義」といわれていた。この旧約聖書に秘められた知識を解き明かし、神秘学的に解釈しようとするユダヤ神秘主義の流れは、西暦2世紀頃からその姿を歴史上に現す。

2世紀頃、ユダヤ人はローマ人により過酷な迫害を受けつつも、ユダヤ神秘主義の教師ともいえるラビにおいて優れた人物を、多く輩出する事となるのだ。その中でもラビ・アキバ、その弟子ラビ・シメオン・ベン・ヨハイなどは、今でも関係する宗教ではその名をよく知られた伝説的な人物である。これらの高名なラビ達の活躍もあり、その後3世紀から6世紀に渡ってユダヤ神秘主義の教義は華々しい発展を遂げる。

カバラの基本教典。イェツィラー、バヒル、ゾハール

この頃、世に出たユダヤ神秘主義の有名な教本に「イェツィラーの書」がある。この本の執筆者はラビ・アキバだったと言われるが、実質的には様々な人物、何人もの人の手を経て今の形が作られたと考えられている。この書には、AM統合神秘行でも後に詳しく学習することになる「生命の樹」という図形による概念の元となる「セフィロト」の言葉が使われたり、セフィロトとヘブライ22文字によってこの世界が形作られたという、重要な考えが示されている。この書の考え方を元に、ユダヤ教神秘主義はその霊的行法として「恍惚的な瞑想による神の世界の旅」、「天路遍歴」、「招魂によるトーラの宰相からの秘儀伝授」、「イエツィラーの書を原典とした文字の秘儀」等を発展させながら、民衆の通俗的な「魔術」と呼ばれる知識までも取り込み、12世紀以降の”カバラ”の体系へ移行していくことになるのだ。

12世紀後半、「バヒルの書(光明の書)」が生まれ、現在のカバラとしての教義の大まかな概念が形作られる事となる。そして、13世紀後半スペイン北東部ユダヤ人居住区において、カバラ教義の中心となる「ゾハールの書」と呼ばれる書籍群が出現。この書により、カバラは以降長らくのユダヤ教においての中心的な教義へと発展していくことになる。

カバラの教師(ラビ)達

この頃、世に出た有名なカバリストには、まず盲目のラビ・イツハクが挙げられるだろう。彼は後世のカバラ研究家ゲルショム・ショーレムに、「人格として捉えることの出来る、最初のカバリスト」とまで呼ばれ、その生涯には様々な伝説がある。彼はセフィロトと世界創造の関係を生涯を通じて追求するという事を行なった。次にアブラハム・ベン・アブラフィア。彼は当時のローマ教皇ニコラス3世をユダヤ教に改宗させようとして、教皇から「火炙りの刑」にされかけたカバリストとしても有名である。彼はまた言語魔術的な瞑想法による、神の教えへの到達を目指した。そして、ラビ・モーシェ・デ・レオン。彼は「ゾハールの書」の真の執筆者ともいわれる。これらの人物の活躍もあって、カバラは教義の深遠さをより増していく。

発展を遂げていたカバラだったが、中世の間までカバラは主にユダヤ人の間のみにて研究され、同じ旧約を源とした宗教でも、新約をその教義の主体とするキリスト教徒の間では、ほとんど研究されていなかった。それは、この頃のキリスト教徒にとっては異教や異教の言葉に関心が無かっただけでなく、キリスト教徒の教祖を殺したユダヤ人への憎悪のせいもあったと思われる。

ルネサンスでのユダヤ・カバラと非ユダヤ・カバラの分流

しかし、ルネッサンスの幕開けとともに、その様相は一変する。ルネッサンスのヒューマニストたちは、古代の芸術や学問に美を再発見し、異教徒の文献や古代語にとても興味を示しはじめた。それは、それまで教会の権威によって封じ込められていたゾロアスター、ヘルメス、プラトン等といった異教徒的な思想が、教会の行き詰まりに新たな思想を吹き込む活力として再生していく時代でもあったのだ。

その時代の潮流と共に、それまではユダヤ人にのみ伝えられていた、カバラの教義がキリスト教徒の間でも注目を浴びるようになる。キリスト教徒がカバラに魅了された理由の一つには、旧約聖書を記したヘブライ語が”神の言語”であり、カバラが神の謎を解き明かす解読学とみなされた事もある。また、ユダヤ人は何度も滅亡の危機に瀕してきたが、他の古代民族が滅び去っても、ユダヤ人のみが生き残っているのは、その根本となる秘密知識のためだとキリスト教徒が考えた事もあった。

そして、この時点でカバラは、唯一絶対の神との契約を厳守するユダヤ教のカバラ、ユダヤ教的カバラと、キリスト教徒などユダヤ教徒以外でも神を信じるなら全ての民が救われると考える、汎神論的な傾向を帯びたクリスチャン・カバラの大きな2つの流れを生み出す事になった。

2つの教義の違いは様々なところに見出せるが、例えば、「イエス・キリスト」という人物の捉えかたにも大きな違いがあり、クリスチャン・カバラではイエス・キリストを世界の「救世主」と見做す事があるが、ユダヤ・カバラでは、イエスは数ある賢者の一人としてしか見ていない。あくまでも、ユダヤ・カバラは目にみえず人間には理解することも出来ない絶対神との個人的な崇拝と契約により、救いを得られるとするのに対し、キリスト教においては三位一体、キリストによる罪の肩代わりなどの、神の救いに対する緩やかな解釈が取り入れられた。もともとユダヤ・カバラ自体にも神秘的要素は多々あったが、クリスチャン・カバラの方がユダヤ教徒以外にも広まったため、クリスチャン・カバラの流れの方が後の秘教体系の伝統により深く関わる事になっていく事になる。

非ユダヤ・カバラ(クリスチャン・カバラから魔術カバラへ)

大きく2つの流れに別れたカバラであるが、ここでは以降、この統合神秘行学習で扱う事柄との関わりの深いクリスチャン・カバラ、そしてそこから更にキリスト教的信仰の枠組みにすらも捕らわれない概念へと変化したオカルト・カバラ、ヘルメティック・カバラ、あるいは魔術的カバラと呼ばれるカバラに関して説明を行っていく事にしよう。

ユダヤ・カバラから変質・枝別れしたクリスチャン・カバラの発展初期においては、キリスト教徒でプラトン学者でもあるピコ・デラ・ミランドーラの活躍が注目される。彼はフラビウス・ミトリダーテス等のユダヤ人学者からカバラを学び、20代の時ローマで「哲学的カバラ思想と神学における結論」等の出版物を刊行し、キリストの神性を秘教体系やカバラ等の隠秘的な学説によって証明しようとしたが、正統的教会からはその思想を認められなかった。しかし、彼は以降もカバラのキリスト教圏の普及に努める。

ルネサンスでは、それまで伝わっていたプラトンの異教的思想はカバラの叡智とも結び付けられた。それは「プラトンはギリシア語を話すモーセ」という、その分野では有名な言葉にも伺えるが、ドイツに生まれたアグリッパ・フォン・ネッテスハイムは、新プラトン派を研究するうちに、秘教体系にのめりこみ、さまざまな哲学・秘教体系・カバラを統一しようと尽力。その結果「隠秘哲学三書」という著作を世に発表。この本は以降の西欧の神秘思想に多大な影響を与える事となった。

他にもこの時代には信仰と医学を結び付けようとしたパラケルスス、ペストの撲滅に貢献したすぐれた学者でもあったノストラダムス、天使の言葉といわれるエノク語を研究した優れた数学者ジョン・ディーなど、西欧の秘教伝統界ではその名を知らぬものは初心者と見做される人物が名を連ねる。18世紀においてはカバリスト・ファルク博士から教えを受けたと言われる、エマヌエル・スウェーデンボリや、動物磁気説を唱えたアントン・メスマーなどにより、近代西欧の秘教研究への基礎が発展する。

非ユダヤ・カバラの近代。黄金の夜明けへ

そして19世紀中頃、フランスの一人の人物の登場によって、西洋秘
教伝統の学徒達に現在多く用いられている、オカルト・カバラあるいはヘルメティック・カバラと呼ばれる大系の研究への、大きな流れが興ることとなる。その人物の名はアルフォンス・ルイ・コンスタン。現在では本名をヘブライ語化したエリファス・レヴィとしての名の方がよく知られているだろう。彼はそれまで伝わっていた様々な秘教的知識から得られた知識を元に、1852年出版した著書「高等魔術の教理と祭儀」にて、この時代の秘教伝統家の研究を大きく啓蒙し、その復興の中心人物となった。

そして、1888年イギリスに有名な「黄金の夜明け団」が誕生する事となる。この団の特筆すべき事は、その秘教教義の中心にカバラの「生命の樹」という図形から得られる概念を置き、その下にそれまで西洋に伝わっていた様々な秘教的知識を纏めた事にあるとされる。この方法により、西洋秘教伝統をキリスト教的枠組みにも捕らわれずに様々な形で研究できる、現代へと繋がる理論的大系が整ったといえよう。そして、このオカルト・カバラ、ヘルメティック・カバラの手法は、現在、様々な者達によって研究される、西欧神秘伝統の基礎的な理論大系となっている。


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