西洋神秘伝統の歴史(ルネサンス2)

ルネサンスの知識人達2

ジョン・ディー
(http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・ディーより)

1527年ジョン・ディーが生まれる(1608年没)。彼は、天才的な科学者であり、数学の発展に大きな貢献を果たしたが、同時に当時の一般的な学問ではあきたらず、オカルト=隠されし叡智の領域にも分け入ることとなる。そして、1581年よりエドワード・ケリーとはじめた招霊実験にて、天使とされる存在と接触。「エノク語」=天使が扱うという言語を西洋神秘伝統にもたらした。

1533年にはカバラの発展に大きな貢献を果たしたイサーク・ルリアが生まれることとなる(1572年没)。彼はツィムツーム思想と呼ばれる要素をカバラに導入。祈りと瞑想による、実践的なカバラの発展を促した。彼はまた、その修行により超能力的な能力も会得していたとされる。1535年、現在では写真の祖としても知られるデッラ・ポルタが生まれる(1615年没)。彼は当時の博学者としても有名であり「自然魔術」を著した人物としても知られる。

1548年、ジョルダーノ・ブルーノが生まれる。彼は神学博士であったが、当時の一般的なキリスト教とは違う独自の思想を持ったため、異端審問にかけられる事となる。その席において、自説を全撤回するよう要求されたが応じなかった為、1600年ついに火刑に処せられてしまう事となる。1574年にはロバート・フラッドが生まれる(1637年没)。彼はロンドンで開業医となり成功を収めるが、同時にヘルメス主義にも傾倒。彼の代表的な著作として「両宇宙誌」がある。また、後述するが、その頃、有名になっていた薔薇十字団に入団を強く希望した人物としても知られる。

1575年、ヤコブ・ベーメがドイツに生まれる。彼は靴職人として働きながらも、神秘秘体験を経て、独特の理論を作り、後の神秘伝統に強い影響を与えた。1575年ころ、魔術書「アルバテル」が世に出ることとなる。この本には様々な天使や悪魔についての資料が載っているが、その中でも特にオリンポスの七惑星の知霊について書かれていることで有名である。この書は、元々ラテン語で書かれていたが、後にロバート・ターナーによって英訳され世に広まることとなる。

1602年、ドイツにアタナシウス・キルヒャーが生まれる(1680年没)。彼はイエズス会の司祭でもあり、実験による研究を重視した、近代の科学の原点の考え方を推進した人物である。また、エジプトのヒエログリフの研究のパイオニアでもあったが、その研究自体は現在では誤りも多いとされている。彼の著作の一つ「エジプトのオイディプス」には、アエメトの印章と似た図形も含まれており、神秘伝統と深い繋がりを持っているとされた。

「薔薇十字団」の声明。ルネサンスの知識人達3

1614年から1615年にかけては、ドイツで薔薇十字団の「名声」「告白」などの文書が出版される事となる。薔薇十字団については、当HPでも別項で論じているので、そちらを読んでほしい。この団体の話自体は、ヴァレンティン・アンドレーエによって書かれたフィクションであるとされるが、神秘伝統においての一つの理想的な団体の在り方を示すものとして知られる。

1602年、占星術師として有名なウィリアム・リリーがイギリスに生まれる(1681年没)。彼は、もともと貧しい家庭の生まれだったが、成功した塩商人の未亡人と結婚し、その後、占星術を学ぶようになる。未亡人の死後は会社を売り払い、本格的に占星術師として世に名をはせる。彼の得意としたのは、生年月日を元に占う伝統的な占星術ではなく、占星術師が質問された時間を基点としてホロスコープを作成し占う「ホラリー占星術」というものであった。

1617年、エリアス・アシュモールがイギリスに生まれる(1692年没)。

エリアス・アシュモール
(http://en.wikipedia.org/wiki/Elias_Ashmoleより)

彼は様々な博物品のコレクターとして有名であり、後に、そのコレクションをオックスフォード大学に寄贈。大学は、そのあまりの莫大な品数の為に「アシュモレアン博物館」という分館をわざわざ創設するほどだったといわれる。ヘルメス主義や神秘伝統にも造詣が深く、彼の執筆した「英国の化学劇場」は神秘伝統に大きな影響を与えている。彼はまた、リリーの友人でもあり、リリーと一緒にディーの天使魔術を、小グループで研究していたとの話もある。

1636年、クリスチャン・ノール・ヴォン・ローゼンロースが生まれる。彼は「カバラ・デヌダータ」を著した人物として有名である。この書は膨大な「ゾハール」の一部分といえども、ヘブライ語からラテン語に訳したことにより、カバラの原典を当時の知識人達に広く読む事ができるようにした、画期的な書物であった。1688年、エマニュエル・スウェーデンボルグが生まれる。彼はヨーロッパ有数の科学者であったが、脱魂状態による霊界遍歴を経験。その著作で発表し、後の神秘伝統に多大な影響を与えた。

キリスト教の弾圧。「魔女狩り」

幾多の知識人たちにより、この頃には、ヨーロッパにおいて理性的なものの見方がかなり発展してきていたが、しかし、それはいまだキリスト教側からの迫害と共にあった。その悲劇的な例を示すのが、この頃に発生した「魔女狩り」と呼ばれる事象である。この魔女狩りによって多くの罪もないものたちが、キリスト教の神の名の下、15世紀から18世紀くらいまでに数万人も殺されたといわれる。その無実の罪を無理やり作り出すための拷問方法や裁判は、想像を絶する恐ろしいものであった。

この拷問の執行に一役買ったのが、先にもあげた「魔女への鉄槌」と呼ばれる書物であったとされる。これらの悲劇はイエス本来の教えを誤って理解した教徒達による、自らの信じる事以外は悪と見なし迫害する、その独善性も大きな要因だったと言えよう。ここで、この文章を読んでいる神秘伝統の学徒には、自分が「悪」だと思う事柄も、他者にとっては「善」となる事が世界にはあり得るという事をよく認識しておいてほしい。そして、他者を非難するときには殊更、慎重になる事を心がけてほしいという事を伝えておこう。


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