叡智の蛇の小径

「旅の始まり」

タウ

タウは我々の住まう物質的世界であるマルクトから、不可視の世界の入り口であるイェソドを繋ぐ、「叡智の蛇」、「贖いの道」と呼ばれる流れの最初のパス(文字の小径)である。タウはその文字的意味として、T字形の十字あるいは十字を持つ。このT十字は、古くにおいて、死刑のために使われた道具の形をあらわす。そこから、この文字には架けられしものの死による変容という意味がもたらされた。

また、この文字は単純な十字として、この世界の四方への広がりを示す極大の象徴でもある。学徒は、この旅において、その存在する象徴的な極大の段階から、極小の段階を目指す事になる。タウはその占星術的象徴として土星を持ち、イェツィラーの書では、この文字を意味する名前として管理の神霊という名を持たせている。

土星という惑星は古の7惑星が存在する層の最外に位置していた。そこから、この惑星は他の惑星達の動きを管理するものとして認識された。このパスに対応する神名はYHVH ALHIM、パスに対応するタロットの秘密の称号は「時の夜の偉大なるもの」である。いずれも、生命の樹のビナーのセフィラと対応するものであり、そのセフィラの意味する大いなる時の闇の力と深く関係している。これらは、このパスの意味する我々の住まいし王国を構成する物質と、ビナーの意味する時の深き関係を示す。我々は時と共に在るのだ。

このパスに対応するタロットは「世界」である。我々は、物質世界の王国であるマルクトからそれを構成している基礎である根源的世界の入り口のイェソドへ、このタウのパスを通ることによって、象徴的な死を経験する。その時、学徒は死の世界の様な闇をくぐり抜け、永遠の時の舞を踊りし宇宙の処女と出会うだろう。そして学徒は処女に導かれ、この世界を構成せし宇宙と偉大なる時の闇の深き関係を理解し、世界に隠されし贖いと叡智の流れを識る事となる。ここより「真の意志」を見つける自己探求の旅が始まるのだ。

「水の浄化と火の聖別」

シン

シンはタウ、後述のクォフと共に我らが住まいしマルクトから不可視の世界への旅をはじめる3つのパスの一つである。学徒は生命の樹のパスの意味をより深く理解しようとする場合は、パスを一つ一つの存在として意味を捉えて考えてはいけない。生命の樹のパスは、他のパスとの関連を考えてこそ、その意味をより深く理解できるのである。

例えば、後に説明することとなるが、マルクトから伸びる3つのパスの文字、タウ、シン、クォフはその3つが集まって一つの象徴的な言葉を形作る事となる。また、アレフとヌン、ベトとアインは生命の樹の図形を見てもらえば解るが、上と下で似たような姿を示している。こういったパス同士は段階は違えども、その根源に似通った意味を持つ事が多い。学徒はパスの意味を探るときは、このように生命の樹の図形的な意味も考えに置きつつ、探求を行っていくことになる。

シンはその文字的意味として「歯」を持つ。歯は、毎日我々の食事において食物をかみ砕き、物質から成る我々の生きる身体の源となる栄養物を作り上げる変容の力の象徴である。シンはまた、占星術的象徴として「火」を持つ。火もまた激しく燃え上がる力で全てのものを変容させてしまう象徴である。

これらは、このパスの秘密の称号「原初の炎の聖霊」と共に、炎によって我々の住まいし現実の意識の世界が焼き尽くされ、純粋なる原初の世界へと変容しつづける事を指し示す。また、それは我々の意識にとっての新しい世紀の始まりでもある。これらの意味をよく現すのが、このパスに対応するタロット「審判」である。そこには、天界より遣わされた大天使が天界の火のごとき轟くラッパを吹き鳴らし、古の埋もれし意識の象徴である、死人達を目覚めさせている。

この変容は、このパスの本質を理解する用意の出来た学徒に、古くから積もってきた雑多な想念を掘り起こさせるであろう。それらは神的な火でもって焼き尽くされ、新しき意識として生誕する。その時、このパスが導くホドの知恵は火の舌により語られ学徒の意識に具現化するだろう。

レシュ

レシュはその文字的意味として「頭」を持つ。頭は人間にとって肉体的意識の中心となる場であり、精神、目覚めた意識、輝く意志、自己制御等の働く場である。古くにおいては、人体の頭と心臓は共に別のレベルにおける意識の中枢として、重視されてきた。

また、レシュは占星術的象徴として、「太陽」を持ち、神名としてYHVH ALVHVDAAThを持つ。この神名は太陽に対応するセフィラ、ティファレトの神名であり、それもこのパスと太陽の深い繋がりを示している。

また、このパスに対応するタロットは、「太陽」であり、このパスの象徴するところをずばりあらわしている。太陽こそ、このパスの秘密の称号があらわす「世界の火の主」であり、燃え上がる意志の根源を象徴してもいる。

また、太陽は古くにおいて生命力の象徴でもあった。その生命力は「アイン」のパスにおいて、より根源的な力としての姿を見せている。そして、太陽は古くの西洋の秘密の教えにおいて人間の意識の中心の象徴であった。これらの対応から、レシュが人間の意識の中心と深く関わる象徴である事がより理解できるであろう。

また、太陽は人間の意識の様々な層を司る存在でもあり、その光を持って人間の意識の奥深くに広がる闇を照らす象徴でもある。このパスはホドにおける知恵を持ってイェソドの無意識層を認識・理解していく意識の覚醒の段階をあらわす。

クォフ

クォフは前述のようにタウ、シンと共に我らが住まうマルクトから不可視の世界へと至る3つのパスの一つである。この3つのパスはまた、学徒の3つの学習の道の始まりの道も現す。その道は一つが静考の道、一つが情動の道、そして最後が中庸の道である。また、クォフとシン、タウの文字を合わせると、QShThという言葉が生まれる。この言葉はヘブライ語で「弓」を意味し、学徒はマルクトから伸びる、この3つのパスから生まれる弓によって高みを目指す力を得る事となる。

クォフはその文字的意味として「後頭部」を持つ。後頭部は人間にとって、普段見ることの出来ない人体の個所であり、その事からクォフは人間の普段理解することの出来ない無意識の世界の象徴となった。

このパスの秘密の称号は「満ち潮と引き潮の支配者」であるが、我々の無意識が変化する潮の影響を受けていることを、この象徴は物語る。また、満ち潮と引き潮を支配するものこそ、月であり、地球に住まいし生命あるものはその影響を受けるのである。

占星術的象徴は「双魚宮」であり、このパスと関わるとき、それは無意識の水の中を泳ぎまわる魚を意味する。この「魚」という象徴は後々、様々なところに出てくる重要なものになるので注意しておいてほしい。

このパスの神名はAL、ケセドの神名である。ケセドとこのパスの関係から、水が、このパスの意味に深く関わることが理解されるであろう。水こそは無意識の象徴でもある。シンとの対比を考えてほしい。このパスはネツァクに象徴される無意識(無意識は女性的な力といわれる)の力が、物質のマルクトへ影響をもたらしていることをあらわす。

ツァダイ

ツァダイはその文字的意味として「釣り針」を持つ。釣り針は無意識の水の中から、泳ぎ回る魚を釣り上げる道具であり、このツァダイは無意識の領域から様々な力を導く象徴である。このパスに対応する占星術的象徴は「宝瓶宮」水の運び手であり、そのサインは天空と水面のはざまを意味する。そして、このパスの秘密の称号は「天空の娘。水の間に住むもの」。これらいずれもが、このパスの水=無意識との深い関係をさしている事が汲み取れるであろう。

ツァダイはその生命の樹の位置するところからもわかるように、レシュにたいしての鏡写しみたいな意味を持つ。レシュが太陽に象徴される明晰な意識による叡智を意味するのに対し、ツァダイは無意識よりもたらされる叡智を意味する。また、シンとレシュが「火」の象徴する明晰な意識を意味するのに対し、ツァダイとクォフは「水」の象徴する無意識を意味する。

この文字の神名はYHVH、コクマーの神名であり、我々の意識の奥から出ずる叡智を意味する。このパスに対応するタロットは「星」である。この文字が釣り針の象徴である事は先に触れたが、その釣り針によって釣られる魚は「ヌン」である。詳しくはヌンの文字の項で説明されるが、ヌンは死の大海を渡る魚を意味する。このツァダイにより釣り上げられし魚は新しい意識の生誕として希望を意味し、それは煌く星のような輝きを見せるであろう。

このパスの神名に対応するセフィラ、コクマーの属性は風であるが、古来より、錬金術的に風と水は緊密な関係にあった。このパスは、ネツァクとイェソドを結び、ネツァクの情動の領域とイェソドの無意識の領域の両者を繋ぐ役割を担っている。

ペー

ペーはその文字的意味として「口」を持つ。口は、その発する言葉を持って人々の間に情動や行動を起こす源の象徴であるが、このパスの占星術的象徴である火星から、その中でも特に破壊や決定的な事柄を伴う質の行動をこの文字は示す。

また、それは激しい変化の力でもあり、時には残酷さにも繋がるものである。しかし、その激しい変化の力はまた別の観点から見れば、人間が食事に際し、口の食物を徹底的に破壊し、自らの心身へと取り込む行為に表されるような、意志が具現化をする前段階の破壊の行為として必要な事でもある。

このパスの秘密の称号は「力の軍の主」であり、これも力をあらわす。このパスの神名はALHIM GBVR。ゲブラー、破壊と浄化のセフィラの神名であり、この事からもペーと破壊の力の関係の深さがより理解できるであろう。

このパスに対応するタロットは「塔」である。そこには、天まで届こうと建てた塔が神の火により打ち砕かれているさまが現される。この塔に象徴される驕り歪んだ意識はここより上の段階へ至ろうとする事によって完全に打ち砕かれるのだ。

このパスはホドとネツァクを繋ぐものであり、この両極のセフィラを繋ぐことは、その間での激しい均衡の力をこのパスが司る事を意味する。また、この文字の意味する口は、力の言葉を発するという意味において、象徴的に実践術式にとって重要な力をあらわしてもいる。ホドとネツァクの両者の力こそ実践的術式の源であり、力の言葉の術式において学徒は世界を変化させていくのだ。

この、タウからペーまでのパスは、生命の樹の図において「ヴェール」の下側に位置する。「真の意志」を探す旅を始めた学徒は、ヴェールを通る前に、これまでのパスを通る事によって、水と火に象徴される意識の変化を経験する。

水の道は、無意識の海の闇と深みに潜みし、学徒の意識に統合されていない意識、即ち「穢れ」を学徒に認識させ、その浄化と統合をはかる。火の道は学徒にとっての高次の意識の輝きを意味し、その火の道を経る事によって学徒は輝く意志を求め、自らの聖別を行う。

そして、学徒は古き意識の変革を行い、新しい意識の目覚めを体験するのだ。

「生と死の意味」

アイン

アインはその文字的意味として開いた「眼」を持つ。その眼は神の眼であると同時に、邪眼も意味する。眼こそは欲情と情動の源であり、その善にも悪にも成りうる大きな力を持って次世代の存在を創造する力の象徴である。しかし、その大きな力は扱いを間違えれば、破壊にも繋がるものである。

このパスの秘密の称号は「物質の門の主」であり、このパスが地の元素と深く関わることを意味する。また、対応する占星術的象徴は磨羯宮、神名は地のADNIである。いずれも、このパスが物質と深く関わることを意味し、このパスに象徴される力は物質的世界を生成・変化させるための大きな力を意味する事がわかるであろう。

そして、このパスはその物質と深く関わるところから、土星との関係も持つ。物質は時の影響を免れ得ないものであり、このパスのもう一つの秘密の称号、「時の力の子」にそれが現されている。

また、これは原初の創造の自由な力を、物質の形へと「束縛」する事も示す。先にも少し触れたが、アインはベトと、この「形の生成」という意味において、繋がりを持つ。そして、この文字に象徴される「眼」は、形を認識する重要な器官である。これら詳しくはベトの項にて説明されるだろう。

またアインは生命の樹のヴェイル上において、ヌンの「死神」とともにティファレトへ昇る学徒を試す役割も担うパスである。ヌンが死と解放の極であれば、アインは暴力的なまでの生と束縛の極である。その生は新しいものを生み出すために性の欲望をもたらすが、それは旧き時代においては、この文字に対応するタロット「悪魔」の誘惑として捉えられていた。

アインは物質の顕現する以前の段階での揺れ動く力を管理する力を意味し、その刷新の神霊の名のように物質を常に新しい状態へと移行させるための創造の大きな力を司るものである。アインのパスはティファレトの高次意識をホドが現す人間の言語的意識へと変化させるものであり、ヴェイルを通って来る物質の源の神秘の知恵を意味する。

サメク

サメクはその文字的意味として「支柱」を持つ。それは、童話のジャックと豆の樹に描かれる豆の樹のような、天へ向かって伸びる柱であり、ヤコブの梯子のように天と地を行き交うものを意味する。このパスはまた、中央の柱上において、ティファレトとイェソドを結び、様々な方向に揺れながらも、中央の道を降り来る創造の力と、その上昇の道を意味する。

ヘルメスカバラにおいては、学徒がティファレトの段階へ登る時、3つの道が用意されているとしている。一つはタロットの悪魔に象徴されるアインの動の道、一つはタロットの死に象徴されるヌンの静の道、そして最後は節制に象徴されるこの垂直に伸びるサメクの中庸の道である。この節制は学徒に両極を知り、その上で、中庸の道を通って、ティファレトの段階までいたるべき事を教える。

このパスの秘密の称号は「調停者の娘」であるが、それもこのパスのバランス的な意味の理解をより助けるであろう。このパスに対応する占星術的象徴は人馬宮である。人馬宮は上半身が人間、下半身が馬という半人半獣の姿をしているが、これは、揺れ動く無意識の獣的な力を人間の理性を持って制御する姿を示す。

生命の樹でマルクトから伸びる3つのパスはクォフ、シン、タウであり、これらの文字を組み合わせると「弓」を意味する言葉が作られる事は先に述べたが、このサメクこそは、その弓から放たれる「矢」であり、人馬宮の射手が天空めがけて解き放つ矢のように学徒が高みを真っ直ぐ目指すべき事を指し示す。

ヌン

ヌンはその文字的意味として、「魚」を持つ。魚は古において根源的な生命力の象徴であり、その伝説においては、人間の魂がその死後、無意識の大海を渡るための姿であるとされた。このパスに対応する神名はAL、ケセドの神名であり、この魚を意味する文字と水の深い関係をあらわす。

このパスの秘密の称号は「偉大なる変化の子」であり、無意識の水の深みを通って変化する魂の姿を現す。その変化こそは「死」であり、それはこのパスのもう一つの秘密の称号「死の門の主」に現されている。

そして、このパスに対応するタロットは「死神」である。そこには、死神の持つ大きな鎌により、伸びてきた人間の首や手足が刈り取られている様子が示されている。全ての形あるものは、この「死神」に象徴される原理によって刈り取られ、その源へと解放されていくのである。先にも少し触れたが、ヌンはアレフと、この「解放」という意味において、繋がりを持つ。詳しくはアレフの項にて説されるだろう。

このパスに対応する占星術的象徴は天蠍宮であり、それは特に蠍の猛烈な毒による一刺しのような死の変容を意味する。そして、全ての物質は鏡に映った幻のようなものであり、このパスの幻想の神霊の名はそれを現している。

ヌンのパスは生命の樹において、ティファレトより降り来る高次意識をネツァクの示す死を経験するべき物質の意識へと変化させる道である。しかし、それはティファレトより降り来るものであるように、世界を調和させるために必要な変化の力である事を忘れてはならない。

このパスは生命の樹上においてアインと写し鏡のような意味を持っており、サメクのパスを通りティファレトへ至る学徒に、アインと共に死と生との出会いを起こす道である。そして、学徒はティファレトへ至る段階において、自らにこの生と死の真の意味を見出さねばならない。

「創造の力」

メム

メムはその文字的意味として「水」を持つ。それは荒れ狂う海の水であり、穏やかな海の水でもある。水は、様々な局面を見せる変容する存在であり、そこから無意識の象徴ともされ、その奥に果てしない原初の創造の力を潜ませる事をあらわす。

このパスの秘密の称号は「力強き水の精霊」であり、神名はALであるが、いずれも、このパスの水の力をあらわすものである。ALは水を連想させる神の名であり、ケセドの神名である。パスに対応するタロットは「吊られた男」である。この吊られている男は、自己を犠牲にし高次の存在を物質世界へ顕現させるための変容の行為を行う神である。また原初の高次の存在の象徴でもある。

それはこのタロットに示されるように神々を裏切った犯罪人として罰されたものとしてあらわされることもあれば、深き海の底や忘れ去られし遺跡にて、孤独に深き瞑想を行う姿としてもあらわされる。吊られた男の絵にはこの男が存在している、その過酷な状況にあっても男の顔に深い瞑想による恍惚の表情が見て取る事が出来るであろう。男は、その慈しみしもののためならば、その過酷な状況を喜びを持って受けているかのようだ。

そして、高次の創造の力が物質界に顕現するときに必要となる媒介がこのパスのあらわす水なのである。ここにおいて、学徒は高次の創造の力が物質界へと顕現するための変容の現われを見出し、その力との出会いを経験するであろう。

ラメド

ラメドはその文字的意味として「牛追い棒」を持つ。それは現代においては既にほとんど使われなくなった農具であるが、しかし、古くにおいては農耕のための牛を制御するためにとても有用な道具であった。牛は、力強い存在であるが、通常の状態では動きの鈍くあまり利口でない動物である。そのため、その牛を急がせ、真っ直ぐに進ませるなど農作に有用に働かせる時に必要とされたのがこの道具である。

これらの事から、このパスは、通常の状態では歩みの遅く、様々な道に揺れがちな自分の意識を真っ直ぐに進ませる象徴となった。

このパスの神名はコクマーのYHVHである。それはこのパスが風と深い関係にあることをあらわす。風は火と水の影響を受けた中間的な元素であり、このパスが、その風の中間的な影響を受けていることをあらわす。

このパスの秘密の称号は「真理の主の娘」である。バランスの取れた行動こそが真理であることをあらわしており、それはこのパスの占星術的象徴、天秤宮のシンボルや、このパスのもう一つの秘密の称号「天秤の保持者」にもあらわされている。その真理を信じる事に篤きものこそ、このパスの神霊の名である。

ラメドは生命の樹において、ゲブラーとティファレトを結ぶ。ティファレトは調和をあらわすが、その調和こそ、ゲブラーの峻厳の力を真に活かすのに必要なことである。

カフ

カフはその文字的意味として「開いた手」を意味する。手は、人間にとって自然から生まれた材料を自分の意志するものに作り変え、生活に役に立つものなどを作り上げていくための、とても重要な部位である。その事からこの文字は、意志がこの世界にあらわれる時に世界を変えていく事の象徴とされた。

このパスの秘密の称号は「生命の力の主」であり、高次の創造の力が生命として顕現する事を司るものである。このパスに対応するタロットは「運命の輪」であり、人間にとって、この運命の輪は人間を導く生命と運命を意味する。

このパスの照応する占星術的象徴は木星であり、木星は占星術的に幸福の星であるとされる。また、開いた掌は相手との友好を望むため差し出すものであり、惜しみなく何かを与え、また相手の幸福を祈るための祝福の行為もあらわす。このパスの融和の神霊の名はこの文字が全ての存在への神の祝福を受け取るものであることをあらわす。

このパスの神名はケセドのALである。このパスの水との関係をあらわす。このパスは生命の樹上において、ケセドの直下に位置しており、燃える剣を降りきたりアビスを通り抜けたケセドへ顕現する力の影響を特に受けているパスである。

ヨド

ヨドはその文字的意味として「握った手」を持つ。握った手は、その内に何かを隠し持っている事を示す。その内には、全ての種であり精子、源である、高次の創造の力が隠されているのだ。この文字の形自体も、全ての種というべき単純な形となっている事に注意してほしい。

握った手は、その内に潜む力を他から隔離し、ある場所に限定させる意味を持つ。しかし、そのため、このパスに示される創造の源の力は、未だ世界に顕現していない最初の状態のままである事に注意してほしい。ヨドはまた、大いなる神の四文字YHVHの始まりの文字「Y」をあらわす。

その対応する占星術的象徴は処女宮である。処女はその時点では、他との交わりを持った事が無いため、次の存在を生み出す事が出来ないが、しかし、その純粋さによる、大きな力を秘める存在であることをあらわしている。また、それはヨドの始まりの力の強く純粋なことにも繋がる。ヨド及び処女は交わりを持ち拡張して、はじめて次の存在を顕現させるのだ。

対応する神名はADNIであり処女宮と同じように地の属性を持つ神名である。地は我々を作り出した源である。このパスはまた、万物の原初の存在の純粋さを持つ、意志の神霊の名も持つ。対応するタロットは、「隠者」である。これは、このパスの秘密の称号「光の声の術師」のように、その純粋にして大いなる光の智恵を以って、後から来るものを導くものである。

テト

テトはその文字的意味として「蛇」を持つ。蛇は古来より様々な宇宙の「力」の象徴とされてきた。尾を噛む蛇ウロボロスはこの世界の永遠を示し、ヘルメスカバラにおいては、2つのエデンの図の赤竜として邪悪を、また叡智の蛇として贖いの道を蛇は示している。また、蛇は古来より野を這う獣の中において、最も賢い、知恵あるものとされてきた。この様に蛇の力には様々な認識の方法があるが、本来、蛇のあらわすもの自体は、純粋な根源の「力」を意味する。その純粋な力を学徒自身がどう認識し制御するかによって、その存在の性質が決まるのである。

ここにおいて、学徒はメムから示されてきたその高次の創造の力を在りのままの姿として認識することになるであろう。また、その力は別のあらわれとして獅子の姿を取ることもある。このパスの対応する占星術的象徴である獅子宮や、対応するタロットの「力」にも、その象徴が見て取れるであろう。その対応する神名はALHIMであり、このパスの火としての力を示す。

この火の力はテトの内に燃え上がるような力の活発さが含まれる事を示す。対応するタロット、「力」の絵は活発な力の象徴である獅子を女神の化身である乙女が能く制する状態を示している。これは、また、このパスの秘密の称号「燃える剣の娘」あるいは、もう一つの称号「獅子の導き手」を知るとき、より理解されるであろう。

テトのパスは生命の樹において、ケセドとゲブラーの2つの大きな力の攻めぎあう場である。この両セフィラのバランス、そして創造の力の意味を認識するとき学徒は、アビス(深淵)への道を踏み出す事になるのだ。


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