IMNの「魔術」Q&A

ここでは、IMNが扱う「魔術」というものに、よく出る疑問について、この当サイト流にQ&A形式でまとめておいた。ここの文を読んで、当サイトで扱っている「魔術」というものについて少しでも理解してもらえれば嬉しいものである。しかし、ここに書かれてある事柄が他でも通用するとは限らないので注意されたし。人はそれぞれ、いろんな考えを抱いているものである。

Q 「魔術」っていうと、なんか凄そうなものに思えるけど、本当に出来るのですか?

A 現在、一般的に「魔術」というと、漫画やアニメ・小説等の影響で、火や風などを使って敵を攻撃したり、呪文を唱えて神や天使、悪魔などの存在を召喚して意のままに操るもの。また、何かの呪文を唱えたり、儀式を行っただけで現実がガラリと変わってしまうものといったイメージが強いが、先にも書いたように当サイトで扱ってる西欧の神秘伝統に伝わる「魔術」というものでは、そういった物理法則を無視した事は一切、全く、これっぽっちも出来ない。もし、そういった事を期待されるのでしたら、他をあたられるようお願いする。

Q では、このサイトで扱ってる「魔術」や「秘儀」って何ですか?

A 現在、日本で「魔術」といった言葉を使うと、かなり怪しいものとして、一般的な人から白い目で見られてしまいがちだが、当サイトで扱う魔術や秘儀とは、先にも説明したように西洋に古くから伝わる神秘伝統や実践ヘルメス学、秘教体系といった学問を元にして結成された「黄金の夜明け」団の理論と実践を元に、最近の心理学、そして様々な科学的な方法も視野に入れながら、未だ明らかにされてない人間自身の意識や、自然を司る法則についての勉強・研究をするものである。未だ知られざる分野の「探求」を行うものであるという意味では、現代の科学者にも通ずるものがあるであろう。

Q 魔術って現実世界を変える効果はあるのですか?

A それは貴方次第だ。「魔術」は、それを扱う人間自身の心に働きかける技術である。どんな複雑で高度な「魔術」というものを行っても、貴方自身が現実生活で何もしなければ、現実世界にはほとんど変化は現れない。逆にどんな簡単な魔術でも、それを行なった後、貴方が現実生活で真剣に努力すれば、その魔術は現実世界に大きな効果を生むであろう。「魔術」というものはいわば、貴方の努力を増幅するもの(ブースター)と言えるのである。

Q 魔術の修行ってどんな事をするのですか?。やはり、呪文を唱えたり、儀式なんかしたりするのですか?

A 確かに「魔術」の学習では呪文を唱えたり、儀式をしたりもするが、それは副次的なものであって、その本当の修行というものは日常生活の中で行なわれる。実際のそれは、自分自身の現実的な能力を高めることに主眼が置かれ、一般的な人が思うようなアヤシゲな「魔術修行」とはかけはなれており、変な期待をしてる人にとっては、それは、思いっきり単調で、つまらないものかもしれない。

Q よく、白魔術や黒魔術って言葉を聞くのですけど、何ですか?。

A 一般的に、その色のイメージから白魔術は「善い」事を目的とする魔術、黒魔術は「悪い」事を目的とする魔術とされる。しかし、善いとか悪いというのは人によって全然違ってくるものなので、はっきりとした定義なんてのは出来ないというのが、実際のところであろう。

Q 魔術で超能力とか使えるようになるのですか?

A ならない。上で述べたマギと言われた人達は、その当時の一般社会では理解できない技術をも扱ったため、それを理解できない人によって、Magicは「理解できない怪しいもの」というイメージの言葉となってしまった。これを例えてみると、今から10000年昔の人の目の前でマッチで火をつけて見せてあげても、その人には何故火がついたか理解できないため、「魔法」を使ったんだと信じ込んでしまうようなものである。こういった誤解から現在、魔術というと、超能力とか物理法則を無視したような事が出来るようになるものと、誤解されてしまっているが、しかし、「魔術」とはこの世界を構成する法則を理解し、それに沿って自分の意志を実現していくための現実的な知識であり技術なのである。

Q 魔術って、それを行ったら願望が叶うんですよね?

A 当サイト作者は「魔術」というものを次のように説明する。「魔術とは、魔術界の諸法則に則(のっと)り自らの意識に変化を起こし、その力により現実界の諸法則に則り現実界に自ら変化を起こしていく技術体系である」。このうち、特に注目して欲しいのは「現実界の諸法則に則り自ら現実界に」というところだ。よく魔術をあまり知らない人が魔術を誤解して考えてしまう事に、この自分自身で現実界を変化させていくという事を抜いて、魔術をとらえてしまう事がある。魔術とは、魔術さえすれば何もしなくても願望が叶うというような甘い夢物語では無く、自らの力を持ってこの現実の世界を変化させていくものなのだ。

この点について、例えば金が欲しいという人がその目的で魔術を行う場合を考えてみよう。この者は、まず現実で良い仕事を見つけるとかバイト先を見つけ、それらの業務に励むなどのたゆまない努力を行うことが必要である。その上で魔術儀式において木星の護符(=財を得るための護符)を作るなどして、これからの努力が上手く運ぶように祈るのだ。これらの行動がうまく調和すれば、その者は通常よりもよりよい結果を得られるだろう。当サイトにおいて魔術を知ろうとする学徒は、魔術とはこの現実界で努力を行う事が必須なのだという事は十分承知しておいて欲しい。

Q このサイトで扱う「魔術」って何を目的としているのですか?。

A 「魔術」として体系づけられた知識を学ぶことによって、人間の精神及び意識、この世界の未だ知られざる法則についての知識を修得。得られたものによって現実生活を楽しく有意義にしていこうということが主になるだろう。

Q 魔術師って、どんな人ですか?。

A 当サイトで扱っている体系および、その類似する体系を学習する「魔術師」と出来る人物は、はたから見ると普通の人がほとんどである。平日は会社へ行き、休日は遊びに出かけたりするのだ。他の人と違うところといえば、ただ、魔術というものに興味を持ち、それを勉強しているというだけだ。超能力を使えたり、悪魔を人前で呼び出したりとか、何も無いところで炎を呼び出して敵を攻撃、あるいは研究室に閉じこもって怪しげな儀式ばかりしている人なんてのはいない。

Q 魔術では悪魔と契約したりするのですか?。

A 「魔術」では「悪魔」とは人間の心の中にある、一般社会的に「悪」と定義される部分をキャラクター化したものとする。この辺は心理学の知識が必要になるので、詳細を知りたい学徒は、そういった方面も学習して欲しい。「魔術」で悪魔を扱うという場合は、その部分を認識・理解・制御していく事を目的とする事を基本とするのだ。「悪魔」と契約し、魂を売り渡すという愚かな行為などしたりはしない。「悪魔」を扱うと聞いて、キリスト教が布教や自己正当化のために作り出した一般的なイメージに惑わされないように注意してほしい。

Q 西洋魔術はキリスト教徒や西洋人じゃないと出来ないのじゃないですか?

A 現在、西洋魔術の代表格とされるGD流魔術は、その中にユダヤのカバラ、エジプトの神話、ギリシアの神話、ドイツの薔薇十字、イギリスのエノク魔術、インドのタットワ等と様々なものが混ざり合わさっている。どちらかというと、一神教の固定概念しかもて無い人の方が、より不向きといえない事も無い。結局は、西洋人・東洋人などという事よりも、学徒個人の力量にかかっていると言って良い。

Q 「魔術」と、よく聞いたりする「おまじない」って、どう違うのですか?

A おまじないというのは、基本的には何らかの「行為」を行なっただけで、願望が叶うというように単純な事しか考えられてない事が多い。それにたいして「魔術」というのは、その背後に働く法則を理解した上で何らかの術などを行い、現実を変えていくものと基本的に考えられている。

Q 魔術では恋のおまじないとかは否定するのですか?

A 魔術界では、おまじないについていろいろと言われたりしているが、少なくとも私自身はそういったものは否定しない。好きな人が出来たら、おまじないをしてでも、その人とどうしても仲良くなりたいというのは、人間として当然だと思う。ただ、世の中、そう簡単なものでは無くて、おまじないをするだけでは、なかなか自分の思うようには現実は変わってくれないものである。だから、そういったおまじないをするのなら、おまじないをした事によって、これで仲良くなれるんだと自分に自信を持って、現実の世界でも実際にその人に気に入られるように、努力をするべきであろう。

Q 神、天使や悪魔って本当にいるのですか?。

A それをどう定義するかによる。呼び出したら、それらが実際に物理的な肉体を持って現れてくることは、殆どあり得ないだろう。だが、現実にいるいないに関わらず、いると仮定して行なった魔術でも実効力を持つ事は確かだ。

Q 魔術を勉強したいのですが、どの様にすれば良いですか?。

A 現在の日本では、書物から入って魔術を勉強する事が一般的だろう。だから、まずは様々な書物を読み、勉強していくことが第一だと思う。それに現在ではインターネットで検索すれば、とても多くの情報を得られるだろう。それらを総合し、自分にとって正しいと思う方法を選んで魔術を修行していってほしい。

Q 魔術を勉強する場合、魔術結社に入らないといけないのですか?

A 入らないといけないと言う事は無い。しかし、魔術結社にはそれまで蓄えられた魔術的ノウハウがあるので、そのノウハウに従っていけば修行の進みかたは早くなる事が多いだろう。だが、これも魔術を学ぶものによって適する場合と適しない場合がある。適しない場合は学ぶものにより悪影響を及ぼす事もある。それに魔術結社といってもピンからキリまである。粗悪な魔術結社に捕まると、とんでも無い事になる。いずれにせよ、現在、一般に売られている書籍である程度のところまでは勉強できる。魔術結社に入るかどうかは、それから、じっくり考えても遅くは無いだろう。

Q 魔術をやっている事を人に話したいのですが?。

A いきなり「私は魔術をやっている」などとは言わない方が良いだろう。相手が魔術にたいして少しでも理解があるなら良いが、何も知らない人がそれを聞いたら貴方は変人扱いされるのがオチである。もし、それでも言いたければ、自分はカバラをやっているとか、実践ヘルメス学を勉強している、という風にわかる人にしかわからない言葉を用いた方が無難だろう。

Q 魔術を修行しだしたら、日常において神や霊からのお告げが起きだしました。どうすれば良いでしょう?。

A 「無視」しなさい。元々、西洋魔術では修行の時と日常生活の時の意識をはっきり使い分ける、つまり制御する事が出来るように修行を行う。不随意な「お告げ」などは招かれざるものなのである。

Q 「私は秘儀を知っている神のごとき存在である」って感じの事を言う人に、弟子にならないかと誘われました。どうすれば良いでしょう。

A 実質的にその人の言ってることはかなりの確率(99.99999999999999999999999%?)で嘘、もしくはその人が単に思い込んでるに過ぎないと考えた方が良いだろう。あと、同じようなものに「私は聖守護天使との知遇を得た」とか「私はイプシシマスである」「私はシークレット・チーフの命を得ている」とかがある。

とにかく、自分が何らかの理由で霊的に優れており、その権威を持って人を様々な面で支配しようとする人には近づかない方が無難である。心理学を勉強すれば理解できることだが、弟子にとって生き方を問う、真の師とはその人自身の心の中に住まうものなのである。現実の肉体を持った人を、師と考える場合は、自分の中にある師というイメージをただ投影しているだけにすぎない。だから、人の様々な面を尊敬するのは良いが、その人の全面的なものを無条件に受け入れたりしないこと。魔術では、冷静な批判精神も大事なのである。

Q 魔術を極めるために修行に専念する生活をしたいと思いますが、どのようにすれば良いでしょうか。

A 魔術を極めるのだったら、その前に現実生活を極めなさい。現在の魔術は極めても、それだけでは現実生活に何の影響ももたらさないと考えた方が良い。幾ら高尚なこころざしをもって魔術を極めようと考えても、その前に生活資金が底をついては腹が減って何も出来なくなるのがオチである。だから、魔術を修行しようと思うのだったら、その前に現実生活を生きていくための様々な知識や技術も修得しておくことである。

Q 「君の運を魔術で良くしてあげよう」と言う感じで、変な事や、いやらしい事をするように言われました。どうすれば良いでしょう。

A それらは「魔術」という言葉でカモフラージュしただけであって、結局は、その人が変な事やいやらしいことがしたいだけなのである。嫌なら、きっぱりと断ること。また、そういった怪しげな人に近づかない様にも注意してほしい。もし、何かあったら警察にすぐに言いなさい。霊的に脅かすと言ってきた場合は、真面目に請えば、現在、インターネット上で幾らでも貴方を助けてくれる人を見つける事が出来るだろう。

Q 西洋の魔術よりも、例えばチベット密教などの他の体系の方が優れていると言ってる人に出会いました。本当でしょうか?

A 体系自体に優劣は無い。どの体系にも優れているところもあれば、劣っているところもあるのだから。学徒の資質により体系に向き不向きはあるが、結局はその体系の方法を活かすも殺すも、それを扱う本人次第である。

Q 魔術などを使っているとカルマの法則で不幸になってしまうと言われました。本当ですか?。

A 魔術とはこの世界を司る法則を知り、その法則に沿って変化を起こす技術である。そして、カルマとはこの世界を司る法則のうちの一つ、「原因と結果の法則」である。以前にも書いているように魔術は現実世界を、自らが行動を起こし変化させていくものである。行動を起こせば、それに結果がついてくるのは当然である。魔術やカルマの法則により不幸が起こるものでは無い。また、別の観点から見れば、この世界で起こる物事は全て、自らを高め成長させていくための神の与えた試練ともいえる。不幸が起こったことで嘆き悲しみ自分は不幸だと思い込んでしまい何もできないようになるか、それともその不幸をバネに、自らを高めその不幸が2度と起こらないようにし、その不幸を結局、幸運にする事が出来るようになるかは、その学び手次第である。

Q 我は秘儀を修めたものだから、常識などは関係ないって感じの事を言う人と出会いました。どうすればよいでしょう。

A 近づかないように。そういった人たちはこの世界の人間界を円滑に動かしていくための「常識」という法則を「理解できない」そして「制御できない」人なのだから。

Q よく魔術系の掲示板などで、言ってることは正しいように見えるのですが、何か、言い方にトゲがあるような感じの人がいます。どうなんでしょう?。

A 幾つかタイプが考えられる。自分は正しい事を言ってるし、また相手の事を考えて言葉の言い方を強くしているのだという人もいる。ただ、そういった人の場合、その言葉の使い方によって相手がその人の言ったことを素直に受け入れる事が出来なかったり、拒否反応を起こしてよけい酷くなる事があるという事にまで気が回ってない場合が多い。内臓の手術をするのに、麻酔を使わずいきなり腹を開くようなものである。掲示板という言葉のみのコミュニケーションの場合、言葉に関しては相手に受け入れてもらいやすい様に使い、相手に気づかせる方がより効率的な事が多い。

また、何かを言う事に夢中になるあまり、言葉の使い方にまで気が回ってないという人もいる。そして、それらを全て理解した上で自分はそういう言い方をするキャラクターなのだと考え行動している人もいる。何にせよ、誰かのものの言い方や相手の人格に腹を立てるのはそれは結局、自分のシャドウを相手に投影しているだけである。ゆとりを持って行動するように。

Q 上に出てきた「シャドウ」って何ですか?。

A 心理学で言う、自分の心の中にあるまだ認識されてない嫌なところや欠点である。基本的に人間は他の人と関わる場合、自分の心の中の様々なものを相手に投影して、相手を理解しようとする場合が多い。そして、その相手の行動が自分自身の心の中のまだ認識されてない嫌なところと同じようなものだった場合、人はその自分の嫌なところを相手に投影して、そのイメージに腹を立てることが多い。要は人に腹を立てる場合、まず胸に手をあてて自分自身にそういったところが無いか自問自答してみるという事だ。

Q 魔術ってどのくらいの年月、修行するのですか?

A 当サイトで扱っている「魔術」では、基本的には基礎訓練でも1年から2年弱は考えておいた方が良い。その上にいろいろな修行をしていると、5年くらいはすぐにたつだろう。そしてある程度、理解できてくるには10年以上は考えたほうが良いかもしれない。

Q 魔術を行うには何かを崇拝しないといけないのですか?。

A 魔術を真に実践していけば必然的に、この世界を構成している大いなる源・法則を実感することになるだろう。そして、自然にその存在に崇拝と畏敬の念を抱くようになると思う。その存在を当サイトの作者は「主」と呼ぶことにしている。

この「主」はこの世界全てを司る法則そのものだと考えて欲しい。当サイトの作者は、全ての「神」はある意味で人間が主の一面を人格化したものと考えている。また、この世界全てに遍く主と、我ら「自分」という個の存在を結びつける接点を当サイトの作者は「キリスト」あるいは「聖守護天使」あるいは「真の意志」と呼ぶことにしている。多くの魔術体系では、この「真の意志」に目覚める、あるいは「聖守護天使」と一体化する事を、その修行の目的とする事も多い。

Q では、魔術を行って、その「聖守護天使」等と一体化したり、真の意志に目覚めたとき、他の人よりもレベルの高い存在になれるのですか?

A なれない。人は全て等しくその心に「真の意志」を持つ。そして、それぞれに迷いながらもこの世界を懸命に生きている。その人達よりも「レベルの高い」人間など、この世界にはいないのだ。人は多面性の存在である。ある面では他の人に劣っていても、ある面では他の誰にも負けない優れた面を各人がそれぞれ持っている。全てにおいて、誰かよりも優れた人間、劣った人間など存在しないのだ。

 他人と比べて、優れているとか劣っているとか言うのはすぐに崩れ去る価値基準であるという事をよく理解するべきだろう。人を見下そうとするものは結局、その人自身に劣等コンプレックスがある事の裏返しである。プライドも同じようなものである。本当にやりたいと思えることをしているとき、人は自分自身への本当の自信と信頼を持てるのだ。

Q 全ての主と、個の存在を結びつける存在が「キリスト」と呼ばれるのなら、キリスト教に入信した方が良いですか?。

A 誤解がある。現在用いられている「キリスト」という概念と歴史上の「イエス・キリスト」という人物は違う存在である。イエスの言われた事はとても参考になるが、本来、「キリスト」とは個々の人の中に住まう真の意志への導き手を象徴するものである。

Q 「真の意志」って何ですか?。

A 基本的には、人それぞれの心の内に潜む真の自己が欲する事と定義される。すなわち、この世界の様々なものごとに惑わされず、あなた自身が持って生まれた資質を見極め、この世界で本当に実現したい事柄といえるだろう。人はこの道を歩んでいるとき、本当に「しあわせ」だと、いえると思う。しかし、その抽象的な言葉のため、よく誤解される事だが、それが真の意志だといって自分のやりたい事を何でもやって良いという意味ではない。

真の意志というものは、この世界を構成する様々な法則に基づいて為すものなのだ。例えば、ある人が真の意志が欲したことだからといって、もし他人に「害を為し」たならば、そのものはこの世界の法則の一つである因果の法則により、やがて他人になしたと同様の「力」に自分自身が影響され、悩む事になるだろう。また、それが真の意志だからといって、何かを為すために自分の体を過分に酷使すれば、人間の体を構成する生理学的な法則によって、そのものは「病気で倒れる」という結果を得ることになるだろう。

Q 結局このサイトを作っている作者って何が目的なのですか?。

A ぶっちゃけた話、インターネットのサイトにこういった情報を載せることによって、同じものに興味を持ついろんな人と出会ってみたいのです。で、そういった人といろいろ話をして、お互いに楽しんだり高め合っていければ、なおよろし。ただ、こういった精神世界にはちょっと危ない人もいるので、実際にお会いする前には、ある程度、事前にメールなどでお話をさせてもらうようにはしています。また、この方面に興味を持ってるんだけど、いろんな都合でなかなか勉強できないって人には、あんまりレベルの高い事は私もわからないので、基礎的な知識に留まりますが、こちらからお教えもします。その代わり、あとでその人自らが得た知識も、ちょこっとだけこちらに教えてもらいたいな〜♪などと希望しとりますです。


カテゴリTOPに戻る