Chic Cicero

Chic Cicero

黄金の夜明け伝統への参入

Chic Cicero氏は1936年、ニューヨークはバッファローに生まれた。以前はビジネスマンやミュージシャンもやっていたとの事である。若い頃から西洋神秘伝統やフリーメーソン、薔薇十字伝統などの神秘伝統に興味を持っていた彼は、やがて60年代からリバイバルしてきた黄金の夜明け団伝統の実践学習を志す。自己参入を行い学習を深めていきながら1977年には自らのGD神殿と魔術団体を作成するまでに至る。この神殿はジョージア州コロンバスに家を借りて作られたもので、78年からはアデプトのヴォールトも作成を始めている。彼はこの神殿を「イシス・ウラニア・テンプル。No.18」と呼び、また後には自らの団の名前を「The Hermetic Order of the Golden Dawn(H.O.G.D.と略されることも多い)」と呼ぶ事になる。もちろん、元祖GDに倣っての事である。

リガルディーとの出会い

70年代末にはテンプルに所属する人数も20人弱に達する。そして、80年にはGDリバイバルの中心的人物だったイスラエル・リガルディーにコンタクト。知り合った2人は意気投合。彼は頻繁にアリゾナ州のリガルディーの元に通い、多くのGD系伝統の理論と実践について教えを受けたという。1982年、ヴォールトがいよいよ完成した為、リガルディーはキケロの元を訪れ、6月の24日にアデプトのヴォールトを聖別。その後、2名を小達人の位階に、1名をニオファイトの位階に叙階するなどもしている。

リガルディーの死後

85年のリガルディーの死後は自らの団の運営とGD伝統の普及に尽力。88年には、団を非営利団体として公式に登録。そして、95年には「The Hermetic Order of the Golden Dawn」の名前と、十字とその内部に朝日の昇る三角のトレードマークを商標として登録する。彼の考えでは、GD伝統を不正な金儲けに使おうとする者から守るための方法であったとの事であるが、この行為は賛否両論を巻き起こす事になった。

現在

90年代からは妻のSandra Tabatha Ciceroと一緒に、恩人でもあるリガルディーの著書に膨大な注釈をつけて再版したり、また彼ら自身も精力的に著書を執筆したりして、現在の世界のGD系活動の中心的な人物となっている。


主要著作
Self-Initiation into the Golden Dawn Tradition
Secrets of a Golden Dawn Temple
The Golden Dawn Journal 1〜4
Experiencing the Kabbalah


サイトのURL
The Hermetic Order of the Golden Dawn


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