暗号文書と秘密の首領SDA

ウェストコットと秘密の首領

1887年、ウェストコットは知り合いだったウッドフォード牧師から奇妙な文字で記された60枚の文書を譲られる事になる。彼は、その文書が、実はヨハネス・トリテミウスに由来する暗号文字で書かれたものである事を見抜く。そして、その暗号文書の中身が秘教団体の参入儀礼や秘教的知識に満ちたものであることを解読することに成功したのだった。また、その文書には、「内容に興味を持ったものは、ドイツの結社「黄金の夜明け(goldene dammerung)団」のフローレン・シュプレンゲル(魔法名SDA)までコンタクトを取られたし。彼女は同団の7=4チーフ・アデプトである。宛先はstuttgartのmarquardt・ホテルのエンゲル氏宛で届く」と、その文書の関係者についても書かれていたという。

ウェストコットは、そのシュプレンゲルという人物と手紙でコンタクトを取ることに成功。しばらく、彼らは手紙の往復を交わす事になる(シュプレンゲルの送ってきた手紙は後にシュプレンゲル・レターあるいはSDA書簡と呼ばれる)。また、ウェストコットの隠秘学に対する造詣の深さを認めたシュプレンゲルはGD団の支部をロンドンに設立する許可を与える。そして、シュプレンゲル(秘密の首領SDA)の「霊的権威」の許可の下、1888年3月1日、西洋神秘伝統を研究するドイツの結社「黄金の夜明け」団の第3支部「イシス・ウラニア・テンプル」が、イギリスのロンドンに設立する事となったのだ。

エリック・ハウによる調査

と、ここまでが、GD団のメンバーにたいして知らされていたロンドンのイシス・ウラニア・テンプル発足の歴史である。しかし、この話よりも約100年くらい後になって、GD団の歴史を調査したエリック・ハウという研究家は、この話に疑問を持つ。シュプレンゲル・レターは現代にも残っており、ハウはその手紙を鑑定にかけたのだ。そして、ドイツ人であるシュプレンゲルが送ってきたとされる手紙は、ドイツ人以外によって書かれたものである可能性が非常に高い事が指摘されたのである。シュプレンゲル・レターには実際にドイツ人が書いたものならば見られないような、文法的間違いが散見していたのだ。また、ハウはシュプレンゲルがいたとされるホテルにも実際に問い合わせを行ったらしい。そのホテルには、当時の滞在の記録にそれらしい人物は無かったとの事である。

これらの詳細はハウの著書「The Magicians of the Golden Dawn」で発表され、現在のGDの研究家の間では、「秘密の首領SDA」シュプレンゲルは、ウェストコットが自分の結社の権威付けのために作り出した架空の人物であり、シュプレンゲル・レターも彼の捏造であったとの共通認識に至っている。(関係者の中にはシュプレンゲルは実在したと信じている方もいるので、その点は注意されたし)。現代的感覚で見れば、ウェストコットが行ったこれらの捏造は詐欺紛いの悪事と思われるかもしれないが、しかし、当時は秘密結社が幾つもあり、そのそれぞれが自らは古代より続く秘密の伝統を持っているという架空の権威付けを行う事が多かった。ウェストコットも、そういった他の団体に倣っただけであり、特に害意をもってそういった行為を行ったわけではない事は現代の学徒も認識しておく必要があるだろう。


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