受動瞑想<IMN的魔術実践基本学習>

能動瞑想と受動瞑想

受動瞑想とは、ある一つの対象物を思い浮かべ、言語思考をやめて、心をいわゆる受け身の状態にして、その対象物に関わる、勝手に浮かんでくる「イメージ」や感覚を認識・理解・記憶していく瞑想法である。能動瞑想が言語思考を使って、自分自身からいろいろと考えを進めていくアクティブな方法であるのに対して、受動瞑想は、ほぼ完全に受け身(パッシブ)の状態で思い浮かんでくる「イメージ」を主体にして瞑想を行う事を特色とする。これは、夢を見ているような状態に近いといえよう。

能動瞑想を「左脳」的瞑想法だとすれば、受動瞑想は「右脳」的瞑想である。西欧神秘伝統では、受動瞑想は自分の顕在意識ではなかなか考え出すことの出来ない、扱われる象徴や主題に潜む秘められた意味、そして、それが自分というものにとってどんな意味を持つものか等を無意識から知るのに、効果的な方法としてしられる。学徒は、西欧神秘伝統の実践学習においてこれから、様々な象徴に対して能動瞑想と受動瞑想をペアにして、探索を行い、その象徴にたいして全脳的な理解を行なっていくことになる。

受動瞑想の実践学習

この瞑想を行う際にも、能動瞑想と同じようにある一つの対象となる主題や象徴を選ぶことから始める。たとえば、この段階の説明では再び「リンゴ」を例にとってみよう。静かで一人きりになれる部屋を用意すること。この辺の基本的な瞑想の行ない方は能動瞑想を参考の事。そして、主題を心に思い浮かべる。そして、受動瞑想では心を受け身にして、何も言葉で考えず、ただ心に思い浮かぶことを記憶していく事になる。「リンゴ」を出発点に、それに関わるイメージとして貴方はどんなイメージが心に思い浮かんでいくだろうか?。

「食後のデザート?。一家団欒のイメージ。口の中に滴り落ちる甘い滴。 食後に残ったタネ。そのタネが芽をふき、成長していって大きな木に。それを農家の人が収穫する。そして、また我々の元へ。子供の頃に病気の時に親に食べさせてもらったイメージが突然思い浮かぶ。懐かしい記憶による暖かな感じ。」

といった感じに、学徒は浮かんでくるイメージをただ、何も考えることなく浮かんでくるにまかせて続けていく事。この場合、気をつけることとして、基本的には、ただ、浮かんでくるにまかせて瞑想を進めて行くのだが、途中であまりにも主題とかけはなれたイメージが連続して浮かぶようになったら、イメージを最初に戻して進め直していくこと。たとえば、「水」を主題に瞑想を始めたのに、火のイメージばかり浮かんでくるようになる事などが挙げられる。

ただ、こういった瞑想では心の中に埋もれていた記憶やその主題や象徴に秘められた意味が突然浮かんでくることがあるので、なるべく浮かんできたイメージは大切にしていくこと。しかし、何回イメージを戻してもあまりに頻繁に、主題と全然違ったイメージばかり浮かんでくるようだったらその日は瞑想は中止したほうが良い。人間は生命体である以上、意識の調子にも波というものがあるので、その日は波が悪い状態に入ってるのかもしれない。

また、何か日常生活での悩み事や考え事があり、それにより心を大きく乱されている場合も、この瞑想法は行わない事。どうしても、そういった悩み事のほうへ心が動き、その関係のイメージばかりが浮かんできてしまう事になる。一回の瞑想法は、ある程度、自分の意識に納得いくような「閃き」や「気づき」を得られる事が出来たら、そこで終わらせていい。この辺についても、能動瞑想を参考のこと。

実践学習のアドバイス

ここで受動瞑想を行うにあたっての幾つか助言をしておく。能動瞑想でも書いたが、リラックスはとても重要なことであり、受動瞑想ではそれが能動瞑想に増して重要になってくる。しっかりとリラックスが出来ていないと、受動瞑想にとって重要な事柄である「イメージ」が勝手に思い浮かんできてくれないことがよくあるのだ。その際のリラックスの状態は、浅い眠りに入っているときあるいは夢を見ている時の自分の感覚を観察してみると理解しやすいかもしれない。また、リラックス法の実践学習で深いリラックス状態に入ると、意識がまどろんで来ることがあるので、その状態も認識しておくと良い。

次に、受動瞑想を行う際にはイメージが必要となるのだが、学徒の中には、その際に思い浮かぶイメージというものを完全にリアルなものが必要なのだと思い込んでしまう人がいる。そういった人は、なかなか受動瞑想が進まないと悩むことになろう。こういった実践学習では、最初からイメージがリアルに思い浮かぶことは無いと考えておいたほうが良い。モヤモヤっとしたものや、イメージの一部でも見えれば、最初はそれを用いて瞑想を進めていけば良い。段階が進んでいけば、やがて、よりリアルなイメージが扱えるようになっていく。

受動瞑想のときは言語思考を出来る限り使わないようにすること。言語思考とは、われわれが普段意識の中でよくしている心のおしゃべりの事である。受動瞑想はこういった心のおしゃべりを一時的に止めさせて、目を閉じて、何も考えず、その前に浮かんでくるイメージを追いつづけるものである。

また、受動瞑想を行なう際は、精神に不安定なところがある人はよく注意する事。この瞑想に取り掛かるときは、まず自分自身に情緒不安定なところや以前に心に大きなトラウマを負ったりした事が無いかをよく自問してみることだ。そういった人たちは普段、それらの自分にとっての嫌な記憶やイメージなどを、自分の意識の奥深くに追いやって、心の安定を保っている事が多い。しかし、受動瞑想を行なっていると、そういった奥深くに追いやっていた、「自分」というものにとっての不都合な記憶やイメージが突然思い浮かんできてしまう事がある。そうした場合、嫌な感覚を味わってしまったり、酷いときには自分の心の安定を乱したりしてしまう。そういった経験がある学徒は、その点をこの実践学習法をよく知ってる人に知らせて、指導を仰いでからよく注意して受動瞑想に取り掛かっていく方が良い。

以上、受動瞑想について説明してきたが、おおよその方法が解ったならば、まずこの段階では能動瞑想と同様に自分なりに何かの主題を見つけ、それについての受動瞑想を行ない、自分なりの瞑想を行なう感覚を掴んでおいてほしい。やがて、後の段階の実践学習で扱う象徴などについて瞑想を行なうようにしていってもらう事になる。


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