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エリファス・レヴィ

エリファス・レヴィ

エリファス・レヴィの半生

エリファス・レヴィ(Eliphas Levi。本名はアルフォンス・ルイ・コンスタンAlphonse Louis Constantである。文中では以後、レヴィと呼ぶ)は1810年、フランスはパリの貧しい靴屋の息子として生まれる。神秘的な素質を持ち、幼い頃から信心深い家庭で育った彼は12歳の聖体拝領の時、その壮麗な儀式に心をうたれ、無限と触れ合うような感覚を覚える。この体験に感動した彼は以後、神学への道を歩む事を決意する。15歳になり、聖ニコラ神学校に入学したレヴィは校長のフレール・コロンナの動物磁気と聖霊の時代についての秘境的講義に強く興味を惹かれ、彼の影響を多々受ける。その後、聖シャルピス学院に進学したレヴィはそこの創立者のオリエの著作に熱中。聖母信仰と女性崇拝の理論を学び、1835年には助祭に任命されるも、次の年の司祭叙任直前になってアデール・アランバックという若い娘に恋をし、学院を飛び出してしまう。

結局その恋は成就せず、レヴィは改心して信仰の道に戻る。しかし彼はその後社会主義運動に染まり、その考えを記した社会主義的著作を発表。キリスト教的な考えの革命思想を発表する。この思想は教会から異端とみなされ、彼の著作は発禁、彼自身も投獄と言う憂き目を見る。獄中で隠避学の文献に触れた彼は出獄後、宗教画を描くようになる。そして、1846年、彼は自分の教え子であるマリー・ノエミ・カディオなる娘と結婚する。しかし、これは彼の望んだ事では無かった。彼は以前から実はそのノエミの母親ユージェニーと恋仲になっていたのである。しかし、ユージェニーはレヴィの子供を身篭ってしまい、また、ノエミもレヴィを好きになって彼の家に強引に押しかけて居候を決め込んでしまい、ユージェニーの夫からユージェニーの妊娠を追求されたレヴィは、責任を取ってノエミと結婚する事になったのである。

1852年、レヴィはポーランドの神秘主義者ヘネ・ヴロンスキーと出会い、彼のメシアニズムという特異な思想に感化を受ける。翌年、妻のノエミと別れた彼は、自分の本名アルフォンス・ルイ・コンスタンをヘブライ語化した、エリファス・レヴィの名前と共に魔術の道に本格的に分け入る事となる。1854年、レヴィはイギリスはロンドンに渡り、魔術的小説「ザノーニ」を書いたブルワー・リットンを筆頭に、その地の多くの魔術関係者達と出会う。しかし、この関係者達への訪問は彼にとって益するところは少なかった。

アポロニウス召喚

そんな時レヴィは一人の謎めいた不思議な婦人と出会う。彼女は場所や道具などの用意をするからレヴィに降霊術をやってみないかと申し出たのである。レヴィはこの申し出を承諾。かくして、彼は古代の魔術師ティアナのアポロニウスを呼び出す儀式を行なう事になるのである。21日間の断食と禁酒を行い身を清めたレヴィは、諸々の魔術道具を用意したロンドンのある一室に一人でこもる。香を焚き込め、一方の手に魔術剣をもう一方の手に典礼書を持ち、神秘的呪文を延々と唱えた彼は、アポロニウスの霊を呼び出す事に成功する。

しかし、最初のこの実験はアポロニウスの姿を呼び出す事には成功したが、その姿がすぐ消えてしまったため、レヴィはすぐさま再度、召喚の儀式を行なう事になる。今度ははっきりとアポロニウスを呼び出す事に成功したレヴィだが、ようやく呼び出したこのアポロニウスの姿にレヴィは激しい恐怖を覚えてしまう。その恐怖に打ち勝つため、レヴィは持っている剣を突き付け自分の命令を聞くようにアポロニウスに強制、しかし、その行為に不満を感じたのかアポロニウスは姿を消してしまおうとする。レヴィはその結果に慌ててアポロニウスに戻れと命令。その直後、不思議な風により右腕が痺れ剣を取り落としてしまったレヴィだが、アポロニウスは再びその姿をレヴィの前に現わす。そこでレヴィは前もって考えておいた質問をアポロニウスに問い掛ける。その答えはすぐに得られたが、それまでの儀式によるあまりの衰弱のためにレヴィは倒れ込み、気を失ってしまい、それでこの儀式は終わりを告げた。

近代魔術の復興へ

この儀式により、魔術の効力を確信した彼は以後、精力的に魔術書を発表する。「高等魔術の教理と祭儀」を筆頭に「魔術の歴史」、「大神秘の鍵」の彼による魔術三部作は当時の魔術界に衝撃を巻き起こし、以降の魔術界復興の動きに大きな役割を果たす。この業績により、レヴィは今でも近代魔術の父と呼ばれる。しかし、この出版によって彼自身が得た金はごく僅かなものであり、レヴィはその後、若い者たちに隠避学を教えながら日々の糧を得る。そして、彼は少ないながらも熱心な弟子に囲まれ、1875年、その生涯を終えた。


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