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西洋神秘伝統の歴史(中世2)

西洋神秘伝統の歴史(中世2)

キリスト教の偉人達

アルベルトクス・マグナス(http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Albertus_Magnus_Painting_by_Joos_van_Gent.jpegより)

1193年には有名なアルベルトゥス・マグナスが誕生する(1280没)。彼は「普遍博士」とも呼ばれた、ドイツのキリスト教神学者である。古代の哲学者アリストテレスの研究から、錬金術についての様々な実験をも行っていたが、その方法は今の科学的検証の方法にも通じる知的なものであったとされる。彼の博学さ故に、人造人間を作ったという話や、冬の修道院の庭で春と同じように花を咲き誇らせたという神秘的な伝説も伝わっている。これらの伝説の影響からか、後に有名な魔術書の題名にも「大アルベルトゥス」「小アルベルトゥス」といった形で、彼の名が冠せられることとなったと言われる。

また、彼の弟子には、「神学大全」で有名なトマス・アクィナスがいる。1227年、法王ホノリウス3世が死去したが、彼の名も後に有名な魔術書群のタイトルに使われる事となる。また、ロジャー・ベーコン(1214−1294)も西洋神秘伝統に名を残す人物として、あげられるだろう。彼は「驚嘆的博士」と呼ばれたイギリスの天才であり、近代科学の先駆者といわれた。当時の研究者達にギリシア語、ヘブライ語などの言語を学び、聖書やギリシア哲学の原典を読むことを提唱している。また、当時においては最先端であった、アラビアの学問を研究・普及させようとしたが、その行動を異端視され、キリスト教のフランシスコ会に捕まり断罪。10年もの間、異端の罪で投獄される目にあってしまう。

1232年にはライムンドゥス・ルルスが生まれる。放蕩の道を歩んでいた彼は、ある時、十字架にかけられたイエス・キリストの幻を見て改心し、キリスト教徒となる。彼は文字列を生成する機械仕掛け(ルルスの円盤)によって、世界の真理を探る技術であるといわれる「アルス・マグナ」を考案した人物として、西洋神秘伝統で有名である。また、彼はイスラムにも度々、キリスト教の宣教に訪れたが、1314年、現地のイスラム教徒に石を投げられ、殉教した。

「カバラ」の発展

アブラハム・アブラフィア(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/34/Abraham_abulafia.jpg又はhttp://en.wikipedia.org/wiki/Abraham_Abulafiaより)

この頃にはユダヤ教における神秘主義的な活動にも大きな動きが起きる。この時代には南フランスとスペインを中心に、ユダヤ人達のコミュニティが出来ていたのだが、その中でユダヤ教神秘主義の研究が進み、特に実践的な「カバラ」が発展することとなったのだ。1135年、スペインでモーセス・マイモニデスが生まれる。彼は家族とともに、エジプトに渡り、そこで医者として成功。また、彼は多くの著作を生み、中世で、もっとも偉大なユダヤ哲学者と呼ばれる。彼の思想は、後のゾハール成立に大きな影響をもたらす。

1165年、フランスに盲人イサクが生まれる。彼により瞑想を中心とした実践的なカバラが大きく発展。彼の誕生をもって、「カバラ」が生まれたとする研究者もいる。彼は「生命の樹」と呼ばれる図形の原型を作ったり、カバラにて重要な書である「バヒルの書」を作ったとされる。1240年、スペインにてアブラハム・アブラフィアが生まれる。(1292年没)彼は、セフィロトの考え方と、文字を中心とした実践的カバラの研究の基礎を作った。彼はまた、時のローマ法王をユダヤ教徒に改宗させようとした人物としても有名である。もちろん、その試みは失敗し、彼は火刑に処されかけたが、ちょうどその直前に法王が死んでしまい、難を逃れている。また、1280年頃からカバラの教えの中核を成す、「ゾハールの書」が複数の小冊子の形で発見される。これを書いたのはモーセス・デ・レオンとされるが、実際に、纏まった形で世に出たのは後の16世紀頃とされている。

ピエトロ・デ・アバノと魔術書ヘプタメロン。ダンテの「神曲」。ルネサンスの時代へ

ピエトロ・デ・アバノ(http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Giusto_di_gand,_pietro_d%27abano.jpgより)

1259年には魔術書「ヘプタメロン」を書いたとされることで有名な、ピエトロ・デ・アバノ(アバノのピエトロ)が生まれる。彼は、当時における高名な哲学者、占星術師、医学教授であり、特に医学の方面で大きな成功をおさめた。様々な神秘伝統にも通じた事が世に知れてしまった為、やはり、時のキリスト教権力に異端視され、2度も異端審問を受けることになる。1度目は無罪になるが、2度目では有罪が決定してしまう。しかし、彼は刑が執行される前に、1316年に病死。それでも、権力側は彼を死体になっても刑を執行しようとした為、ピエトロの友人は彼をかばおうと、死体を掘り起こし隠してしまう。面子を潰された権力者側は彼の代わりに、彼に見立てた人形を火刑に処したという逸話が伝わっている。

1300年から1320年くらいにかけては、ダンテが「神曲」を発表している。この壮大なる物語は、後の神秘伝統にも大きな影響を与えた。ロジャーベーコンが10年も投獄されていたり、火刑に処されかけたもの達が多いところからも見て取れるように、この時代においても、キリスト教の異端者に対する弾圧は苛酷なものがあった。そんな中、大きな転換期が訪れるのが、1453年コンスタンティノープルがオスマン帝国のトルコ軍に落とされたときからである。ローマ帝国は滅亡し、ビザンティンから優れた学者がイタリアに相次いで移住し、この時からイタリアを始まりとした、ヨーロッパの本格的なルネサンスが始まる事となる。


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