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西洋神秘伝統の歴史(紀元後)

西洋神秘伝統の歴史(紀元後)

イエス・キリスト

イエス・キリスト像(http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Jesus-Christ-from-Hagia-Sophia.jpgより)

そして、かの有名なナザレのイエス=イエス・キリストが生まれることとなる。伝承によれば、彼はその出生から神秘に包まれている。ヨセフと婚約していたマリアは、処女のまま聖霊により身ごもる事となり、やがて、ベツヘレムの地(ナザレという説も)でイエスを産み落としたとされている。その際には、空に一つの大きな星(ベツヘレムの星)が輝き、先に記した東方の三賢者はこれを見てイエスの誕生を知り、彼の元まで行き、祝福を捧げたという伝説がある。出生後まもなく、ヘロデ王による虐殺を逃れて彼はガリラヤのナザレで育つ。

ただ、少年時代の彼については残されている記述は少ない。研究者によっては、彼はその成長期に様々な土地をまわり、古来よりの流れを汲む秘教集団の下で、秘密の知識を受け継いだとも言われている。そして、30歳の頃に彼はヨハネにより洗礼を施される。洗礼により聖霊に満ちた彼は、その導きにより、荒野で断食を行い悪魔の誘惑に打ち勝つ。その後、「愛」を中心とした教えを説きはじめ、弟子である十二使徒を得る。そして、彼を目の敵にした時の権力者たちに、自らをユダヤの王であると名乗り、神の子、メシアであると自称したとする罪により捕らえられ、磔刑に処せられる。

この時に、彼が死亡したかどうかを確認するために用いられた槍は後に”ロンギヌスの槍”と称され、また、その時に流れ出た血を受け止めた杯が”聖杯”と称される伝説が生まれた。これらは共に後にキリスト教の聖なる遺物として世に伝わる。十字架から降ろされ、埋葬されたイエスは、その3日後に復活の奇跡を果たし、弟子たちと会った後、昇天する。ちなみに現在、日本でも一般的に使われている、年をあらわす暦である西暦はイエスが生まれた翌年を元年として制定したとされる。しかし、現在では実際にイエスが生まれたのは、紀元前4年頃だろうというのが通説となっている。

イエス・キリストという名前は”イエス(IESUS)”が個人名を示し、”キリスト”とはユダヤ教に伝わる”救い主”の称号を意味する。また、現在、日本でも一般的に売られている聖書は基本的に「旧約聖書」と「新約聖書」の2部に別れている。元々、聖書はユダヤ教徒によって書かれた聖なる書物であった。これを「旧約(旧い契約)」とし、後にキリスト教徒が追加したのが「新約」聖書とされている。キリスト教徒にとっては、イエスによる、主との新たな契約の後から生まれた聖書を「新約」と呼び、それ以前の「旧約」聖書は不完全なものであると考えているのだ。逆にユダヤ教徒にとっては「旧約」の部分のみが「聖書」であると考えられている。

また、イエスは、その名をイェヘシュアとも呼ばれ、この言葉は実践学習においても大きな意味を持つので、記憶しておいて欲しい。このイエス・キリストという存在が、後の世の西洋神秘伝統に与えた影響は計り知れないものがあるので、学徒も各々なりに参考書籍をあたったり、ネットでも資料を調べるなどして学習してみてほしい。

十二使徒によるキリスト教の布教。イエスと同時代の魔術師達。グノーシス派

ティアナのアポロニウス

イエスの弟子達である十二使徒は、彼らの捉えた救世主イエスの教えを広めようと、キリスト教の布教を始める。現在は世界中で多くの信者を持つキリスト教は、しかし、この普及の初期においては、人々の間では新興宗教の一つとしての認識しか無かった。この時代には、イエスと同様に、病人を癒したり死人を生き返らしたりするなどして崇拝者の団体を率いる魔術師が数多くいたのである。その筆頭としては、西洋神秘伝統で今も有名な、ティアナのアポロニウスがあげられるだろう。彼はピタゴラス派に学び、イエス同様に様々な奇跡を行ったとされ、多くの人たちから崇敬を受けていた。後の時代にエリファス・レヴィという人物によって、このアポロニウスの霊を呼び出す儀式が行われたことは西洋神秘伝統界では有名な話である。

また、少し時代は下り、キリスト教の普及を妨げるものとして、キリストの使徒達と戦った人物として、シモン・マグスという人物も有名な人物としてあげられるだろう。彼はサマリアを中心に活動。トロイのヘレンの生まれ変わりという女性と行動を共にし、こちらも様々な奇跡を行った人物として、グノーシス派の祖ともいわれる。グノーシス派とは、物質を悪と見なし、霊への回帰を掲げる思想の宗派であったが、この頃は強い勢力を持っており、原始キリスト教派から大きな敵と見なされていた。シモンは、使徒の一人ペテロに、空中浮揚の奇跡を見せ付けている最中、ペテロに邪魔をされ、高い空中から墜落死したという伝説もある。やがて、キリスト教の普及と共にグノーシス派は激しい弾圧を受け、歴史より姿を消すことになるが、このグノーシス派の思想は後の世になるまで、神秘伝統界に多大な影響を与え続けることになる。

カルデア人の神託。ヘルメス文書。PGM

PGM(http://balkhandshambhala.blogspot.jp/2013/09/the-greek-magical-papyri.htmlより)

この時代の有名な哲学者としては、エジプト生まれのプロティノス(205?ー270)が挙げられるだろう。彼はアレクサンドリアのアンモニオス・サッカスの下で学び、ローマに移住。プラトンのイデア論を受け継ぎながらも、より発展させ、ネオプラトニズムを築いた人物として知られる。2世紀ごろにはユリアノスによりテウルギア=降神術あるいは神働術について語られた「カルデア人の神託(Chaldaean Oracles)」、3世紀頃には、グノーシス主義やネオプラトニズムの影響を受けて、ヘルメス主義の原点とも見做される「ヘルメス文書(Corpus Hermeticum)」と呼ばれる、哲学的な神秘伝統の文書群が成立したと言われている。

こういった哲学的で高尚な、密儀や古代の賢者の知恵の大系は、通俗的な大衆とは隔離されていた。その為に、逆に、大衆たちの間には通俗的な宗教を背景としたり、密儀から漏れ伝えられた断片的な知識を元にした呪術的技術が発達して行く事となる。その代表が、ギリシアとエジプトの魔術的教義が混ざり合い、パピルスにギリシア語やコプト語で書かれた「Papyri Graecae Magicae」略してPGM(コプト語の場合はPCM)と呼ばれる、様々な魔術文書である。こちらには、グノーシス主義やヘルメス文書などの哲学的な要素が、この時代の様々な民間の魔術や妖術と混じりあい、現実的な願望成就を主体とした独特の魔術的な技法群を生み出している。

一般の名も無い下級民達にとっては、高尚な哲学よりも、明日の糧を得たり自分の願望を叶える事の方がよっぽど重要なのであり、これらの文書には、その目的を叶える為の呪術が多く含まれる事となった。これらの技術は後に妖術や歪められた低俗な魔術などとして発展していくようになる。「カルデア人の神託」「ヘルメス文書」などは、海外のWEBサイトや、日本でも訳文を掲載しているサイトがあるので、興味を持った読者は検索して読ませてもらうと良いであろう。

キリスト教による「知」の弾圧。長い「知」の闇の時代

先にも記したが、初期のキリスト教はその布教において、土着の宗教の信者から激しい抵抗を受ける事となる。キリスト教徒達にとっては、主とイエス以外を信仰するものは悪であるとの認識がある。この理由により、キリスト教に改宗しない異教徒に対しては過激な排斥活動を実施したため、古くからの宗教の神々を信じるもの達から、逆に激しい迫害を受ける事になったのだ。土着の宗教の信者たちが、新興宗教であるキリスト教徒を迫害するときに挙げた理由として、キリスト教徒は子供をさらって生け贄にしている。また、魔物と契約を行って悪の限りを尽くしている、などとしていた事が伝えられている。これらの理由はしかし、後にキリスト教徒自身も、社会的な権力を握ってから他の宗教の教徒を迫害するときに、同じような理由をもって行ってしまっている。結局、宗教を盲目的に信仰する考え方では、人間というものの残酷な面は制御する事ができないのである。神秘伝統の学徒は、このような歴史の過ちを学び、よく自分自身への教訓にしてほしい。

話を戻すが、そんな強い迫害を受けていたキリスト教の状態に、やがて変化が生じる事となる。313年、ミラノ勅令によりローマで公式に信教の自由が認められる事となったのだ。その後、新約聖書が編纂され、380年ローマにおいて国教化する事となる。そして、392年にはローマでのキリスト教以外の宗教への信仰が全面的に禁止。これにより、逆に他の宗教はキリスト教の神の名の下に迫害を受ける事となった。先にも記したように、キリスト教の教えの中には、自らの神からの教え以外は全て邪教であるとの認識があり、古代においては様々な宗教と結びついていた、人間の「知」を研究する学問の動きは、キリスト教の迫害によりヨーロッパにおいて、その歴史の表舞台から消え去ることとなってしまう。そして、西洋を大きく占めたキリスト教圏ではルネサンスに至るまで、長い「知」の闇の時代が訪れることとなってしまった。


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