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黄金の夜明け団伝統の歴史(GD団の系譜3)

黄金の夜明け団伝統の歴史(GD団の系譜3)

ポール・フォスター・ケースとBOTA

Paul Foster Case(ケース)
(http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Foster_Case)より

メイザースは自らの団の支部をアメリカにも作っていた。その名はトート・ヘルメス・テンプル。この団には、後に一人の人物が1913年前後に入団する事となった。現在、タロットの研究者として有名な、彼の名はポール・フォスター・ケース。彼は、このテンプルで内陣まで昇進するが、その指導者であるモイナとやはり衝突してしまい1920年退団してしまう。その後、彼自身の団体である「不朽の叡智の学院」を設立。その後、これをやり直す形で1922年「神殿建設者」団(通称BOTA)を設立。この団は、大きく成長することとなる。ケースが亡くなった後は、アン・デービスがその後を次ぎ、デービスの死後も、現在に至るまでその活動は続いている。

また、BOTAで学んだもの達の中からも、多くの学徒達が独立し、自分たちの団を旗揚げしている。その中でも、ポール・クラークが率いる「Fraternity of the Hidden Light」は、日本でもイベントを主催した事のある団体として、日本の学徒にも注目されている団体である。

クロウリーのその後

Aleister Crowley(A・クロウリー)

(http://en.wikipedia.org/wiki/Aleister_Crowley)より

ここではブライス・ロードの戦い後のA・クロウリーについても触れよう。西洋神秘伝統を目指しGD団に入団。メイザースの弟子にもなった彼は、その後、東洋の方面にも傾倒。しかし、その事を機に、メイザースと仲違いし、独自の道を歩むことになる。ローズ・ケリーと結婚した彼は新婚旅行でエジプトを訪れた1904年に、その後の人生を決める霊的体験をする。天使エイワスから「法の書」を自動筆記で授かるのである。

その後の彼は、この「法の書」を元にしたセレマの教えを構築、その布教に一生を捧げたといってよいであろう。1907年には結社AA(銀の星)団を設立。1909年からは神秘伝統界でも有名な大冊「春秋分点」を発行し、神秘伝統知識の普及を図る。また、1912年、OTOの英国支部長に任命され、OTOにセレマの教えを導入。その活動を活発に行うようになる。このOTOはクロウリーの死後、世界中に多くの支部を持つ事になる。日本にも1989年より、幾つかのOTOの支部が設立。現在も各支部で様々な活動を行い、日本での活躍を注目されている団体である。

リガルディーの復活。現代へ

晩年のリガルディーとシック・キケロ

(http://www.magia-rituale.com/ciceros.html)より

先にも触れたが、クロウリーの下に弟子入りしたリガルディーは、やがてクロウリーから離反。その後、1940年に書籍「黄金の夜明け」を出版する事となる。GD伝統の貴重な教義が失われる事を危惧する、彼なりの義憤にかられた為の行動だったが、しかしすぐ後に、本人自身は業界関係者からの様々ないやがらせなどもあって、神秘伝統の活動からは離れることとなる。そんなリガルディーの思いが実を結ぶこととなるのは、それから数十年たった1960年代のオカルトブームが発生してからだった。オカルトブームの影響で、GD伝統の教義の価値に目覚めるもの達が急増。リガルディーはそのGDブームの中心人物となったのだ。

70年代にはアメリカ各地にGD系統のテンプルを設立させ、後には、教えを請うてきたキケロ夫妻と親密に交流。1982年には彼らの儀式場を聖別するなどしており、このキケロ夫妻は、現在はGD研究界の代表者になっている。また、1983年にはニュージーランドに渡り、フェルキンからの流れを汲むパット・ザレウスキーと交流。このザレウスキー氏も、現在のGD研究界の代表者になっている。そして、リガルディーは1984年に書籍「黄金の夜明け」を大幅に改訂・増補した、それまでの彼のGD研究の総纏めともいえる、「The Complete Golden Dawn System of Magic」を出版、その直後の1985年に心臓発作で亡くなる事となる。彼が決死の思いで闇から光へと蒔いた「黄金の夜明け」という種は、大きく芽吹き、今も世界各地で成長を続けていっていると言って良いだろう。


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