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元祖黄金の夜明け団の歴史(ブライス・ロードの戦い。メイザースとクロウリーの追放)

元祖黄金の夜明け団の歴史(ブライス・ロードの戦い。メイザースとクロウリーの追放)

SDA書簡の真偽

ちょうどその頃ロンドンでは、フローレンス・ファーが、メイザースへの不満から、イシス・ウラニア・テンプルを閉じてしまうぞ、という旨の手紙をメイザースにあてて出していたのだが、メイザースはその手紙に対して激怒し、返信の中にウェストコットはドイツの「首領」とは、コンタクトしていなかったという事を、偽者であるホロス夫妻から得た偽情報をもとにして、フローレンス・ファーへの脅迫のネタとして伝えてしまう。フローレンス・ファーは、このウェストコットのアンナとの通信(SDA書簡)が嘘であるという、メイザースの返信に当惑。ウェストコットに連絡して、この件について聞きただすと同時に、セカンド・オーダーのメンバーにこの事を打ち明けた。

セカンド・オーダーのメンバーも、この事の重大さにすぐさま、調査委員会を設立。真相の究明にのりだし、メイザース、ウェストコット双方に正式に質問状を送る事になる。この委員会から、SDA書簡に関する真偽の証拠提出を求められたメイザースはしかし、その時点でホロス夫妻に逃げられ、彼らが詐欺師であった事に気づいてしまっていた。そして、自分の偽情報が元になって作られた、この委員会からの質問に答えられず、半ばやけっぱちになって、要求をつっぱねている。SDA書簡について尋ねられたウェストコットはどうしたかというと、自分はこのSDA書簡について、確たる証拠は挙げられないが、しかし、メイザースの説を受け入れたならば、私は亡きウッドマンの名誉を傷付けてしまうでしょう、という亡きウッドマンを盾に使った微妙な回答を委員会に出している。

ブライス・ロードの戦い

アレイスター・クロウリー

これらの返事から、委員会はファーへの手紙はメイザースのでっちあげだったという説に傾き、メイザースにロンドンへ来て、釈明する事を命じる。もちろん、メイザースはこの命令を無視。フローレンス・ファーをイシス・ウラニアの首領から外すが、その行動に、ロンドンのイシス・ウラニアの主要メンバーは反抗、1900年、メイザースから離反する事になる。このロンドンの主要メンバーの行動に、メイザースは激怒。ちょうどその頃、メイザースの狂信的信者だったクロウリーは、メイザースの命を受け1900年4月13日、ロンドンへと単身乗り込む事になる。クロウリーはブライス・ロードにあったGD団のセカンドオーダー専用室を占拠して、ここに有名な「ブライス・ロードの戦い」が始まる。この戦いは結局、セカンドオーダー室の正当な家主の権限により、クロウリーが追い払われ、一応の決着を見る事となる。

首領メイザースとクロウリーの追放

しかし、ロンドンの主要メンバーも、このメイザースの命によるクロウリーの暴挙に激怒。正式にメイザースとクロウリーをGD団から追放して、新たな組織を作り出す事になる。また、この時にはアニー・ホーニマンも新しい組織の団メンバーへと返り咲いている。クロウリーはこの後も懲りずにフローレンス・ファーに対して、告訴などしてちょっかいを出したりしているが、結局勝てずにあきらめてしまい、アメリカへ旅立ってしまう。メイザースはなおもパリにて怒り狂っており、ロンドン・メンバーが新しい組織を作り出すときに、前から評判が悪かったため、ついでに追い出されてしまったエドワード・ベリッジと共に、パリにて新しいイシス・ウラニア・テンプル(A∴O∴の母胎となる)を作る事にする。

1900年4月19日、ロンドンにて新組織を作り出したGD団メンバー達は、W・B・イェイツを指導者に選び、活動を再開する事となった。しかし、すぐにトラブルに直面。団の書記という役職に就任したアニー・ホーニマンと、フローレンス・ファーが大喧嘩を起こしてしまうのである。


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