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生命の樹について4

生命の樹について4

このSTEPでは、コクマーとビナーについて説明していく。ケテルに溢れる創造の意志は、炎の剣に沿って、自らの内より次のセフィラ、<コクマー>を流出・形成させる。これから、マルクトに至るまで、この創造の力の流出は続くのであるが、もし、この流出の考えが理解しにくいと思う読者は、10個の水の無い池とそれらを繋ぐ水路を考えてみて欲しい。最初の池(ケテル)において湧き出た水(創造のエネルギー)は、その池を満たし繋がった水路を通じて、次の池(コクマー)を満たしていく。セフィロトの流出とは、このような考え方で、マルクトまで続いていくのである。

また、炎の剣は「稲妻(雷電)の道」とも称される。この世界の創造の過程を示した稲妻の道は、その称される稲妻のように、瞬間的に天上から地上へと降り来りて世界を創造する下降原理なのである。

<コクマー>

コクマーは生命の樹の白柱に位置するセフィラの最上部になる。白柱は「力」あるいは能動性を意味し、コクマーはここで根元的な「力(エネルギー)」の原理を付与される。その為、コクマーは全ての存在の根底に流れる活力、動的な力を意味する。それは次のビナーを通じて形なきものに生命を与える至高の父、万物の父である。また、これらの考え方は、古代中国の神秘伝統「道(Taoism)」に云う「陽(yang)」ともその類似をよく指摘される。白柱は「陽」の力を示し、コクマーはその力の根元を意味するともされるのだ。

その性質から、このコクマーは能動的な力、男性的な力とされる。しかし、ここで学徒には注意してほしい事がある。ここでいう「男性的」を、人間的な意味での「男性」として単純に捉えてしまわないようにしてほしいのだ。生命の樹における世界創造においては、この世界を構成するのに必要な事柄として「力(エネルギー)」と「形」の相反する原理を挙げる事は先にも述べたが、この考え方を示すものとして人間の「性の原理」が例えとしてよく使われる。その考え方では「男性(父)」を創造のエネルギーを迸らせ、ばら撒く変化の原理として。又、「女性(母)」を、その創造のエネルギーを受け止めて形を与えて産み出す変化の原理の例えとして使うのだ。

元々、生物としての人間は「全」面的な存在である。男性の内には女性的な面が存在するし、女性の内にも男性的な面が存在する。このページのように生命の樹についての考察を行っている文を読む際は、その用語として出てくる「男性」や「女性」といった言葉は、エネルギーの変化の原理を指す事が多いと理解してほしい。

コクマーは幾何学的に「点」が伸びる事によって生ずる「直線」あるいは「波状の線」として示される。ここに至ってケテルはその最初の「動き」を示し始める。それは、「直線」に象徴されるように一点に向かって突き進む「意志」、あるいは「波状の線」のように世界に「刺激」を与える存在である。そして、未顕現者からケテルを通じ溢れ動き始めた「意志」である。

照応する天体は黄道十二宮、あるいは恒星天とされる。コクマーは原初の時に放たれた「光あれ」の「言霊」、この世界を振動させるエネルギー、「波」としての「言の音」である。そして、その言霊「ロゴス」こそが「智恵」なのである。

<ビナー>

コクマーに流れる力は次のセフィラ<ビナー>を形成する。ビナーの意味を考えるときは、生命の樹上での相対するセフィラーであるコクマーの意味をペアにして考えなければ正しくは理解できないであろう。この<ビナー>は「理解」、受容であり、コクマーの意志を受け止め、その意志の力に根元の「形」の原理を与える至高の「母」なのである。この相対するセフィラーをペアにして捉える考え方は、この後も続くので学徒はよく認識しておくことである。

ビナーは生命の樹の黒柱に位置するセフィラの最上部になる。黒柱は「形」あるいは受動性を意味し、先にも述べたがビナーはここで根元的な「形」の原理を付与される。このビナーに照応する天体は「土星」。土星は西欧神秘伝統では、古来より「時」を司りし天体とされる。ここに至って創造の段階に時の概念が意味を現してくる。全ての形を与えられたものは、時と共にその形をこのビナーに返さなければならないのだ。その意味で、ビナーは自らが形を与えしものから、その形を奪い呑み込む、暗く不毛な「母」、「死(滅び)の運び手」ともなる。コクマーの自由な創造的エネルギーに「形」の束縛を与えるのだ。

ビナーの名前「理解」とは深き偉大なる大海のごとく、限りがない受容であり、全てをその内から育み、全てをその内に呑み込む。そして、ビナーの基本色は全ての色を呑み込む黒、漆黒の闇である。これらの事柄から、黒柱は古代中国の神秘伝統「道」に云う「陰(yin)」ともその類似を指摘され、ビナーはその「陰」の力の根元であるとされる。

ビナーは幾何学的には「三角」で示される。しかし、この三角は「厚み」を持たない平面であり、未だ物質として理解される段階には至って無い。その為、ここまでの3つのセフィラは「至高者」と称され、我々の通常の物質を拠り所とした知的概念を超越するものである。「至高者」は以下の7つのセフィラと果てしのない隔たり<アビス(深淵)>によって分けられている。7つのセフィラは「現実」であるが、「至高者」は観念的存在であり、我々は特別な実践学習を用い、通常の言語思考的意識を超えた意識においてのみ、その「至高者」の本質を垣間見ることが出来るだろう。

この「三」の段階まで至った後から万物が生まれるとの考えは世界各地の神秘行に見られる。中国の有名な賢者である「老子」は説く。「道は一を生ず。一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」。


□学徒は上記を理解・記憶すること。この学習のポイントをまとめると下記になる。
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・コクマーの意味を記憶すること
・ビナーの意味を記憶すること


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